AIを自分ごとで思えること
これはとても有り難いことだと思います。AI(人工知能)を自分ごとで捉えられること。AIに限りませんが人は多くの社会問題や技術そして情報知識を自分とは関係のないことだと捉えることが多いものです。
それを自分ごとで捉える。
どういうことでしょうか?
自分ごとで捉えるとは簡単なことではありません。地球環境汚染が如何に深刻であるのか、いじめや暴力が横行していることが大問題であるのか、そのことに胸を痛めたとしても、毎日の行動はそう簡単に変わらないものです。
明日から何をしますか?
その時から変わりますか?
多くの人は、意識が変わったり行動が変わるということはないのだろうと思います。
自分ごとで捉える。
それがどういうことなのか。
その一端が垣間見えるのではないでしょうか?とても難しいものを背負い、人によって現象は様々ですが、責任感の重さを感じたり、ストレスやプレッシャーに押しつぶされたり、やらされてる感覚になったり、どんなに頑張っても変化が見られないことで意欲が削がれ、意味価値を感じられず、虚無に向かうことかと思います。
やり続けていても成果が見えない。
そのようなことが多すぎますね。
一つの問題を取り上げてもそうです。ですが今や問題は他の問題と繋がっており、お互いに変な絡み合いがあって、それだけなら良いのですが変に連携連動が起きていることで、簡単に解けません。
まさに糸の絡み。
簡単に解けません。
だからこそ。
自分ごとで捉えること。
諦めたくなるものです。
考えないようにします。
切り離すかも知れない。
それらは当然のことで、当たり前なことなのでしょう。それでも暗いのは嫌だということで、切り離した後にはスッキリしておりたいし、明るくありたいので、その他の良いところを見ようというのです。
自分ごとで捉えることは、
とても重苦しいもので、
悩みや苦しみが増えます。
ただ、それはある条件の下でそのようになっているということも多くの人は気付いていません。条件の下で自然にそのようにセットされるということを分かる人にとっては、その条件を解除すれば全く違う条件をセットすることで自然に違う結果現象へと生まれ変わっていくことが分かります。
そしてそれが自分ごとです。
自分が中心となって変えていく。
自ら背負い、意欲は削がれず、重苦しいことなく寧ろ楽しんで取り組み、気付きと感動が溢れるようになります。
自分ごとですから。
誰かにやらされるとか、嫌々向き合わされるなどは一切なく、自らの力の無さを嘆くことなく、未熟を愛し、常に常に成長進化していく姿を確認し協力者が次々と現れてくる。自分ごとで捉えるとは本来、そういうことです。
AIを自分ごとで思えること。
本当はそれはとても便利なことで、楽なことで、毎日が楽しくて堪らないことです。そうしますと一体、AIを自分ごとで捉えられない理由、そしてそのような条件とは、何なのでしょうか?
読んで下さって有り難うございました。宜しかったら別の記事もお読みください。
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