学問や教育が答えを暗記することを要求してきたためか、人生はつい答えを探してしまうものです。例え答えと出会い、答えの通りに実践してみても、なかなかうまく行きません。
人生は、答えと共にあるべきか?
それとも質問と共にあるべきか?
1.暗記教育を推進してきた日本
日本の教育は深く考えさせたり感じさせたりする教育から遠く、自発性や自律性が養われることには向かないとされています。
学校教育である程度はうまくいきましても、社会に出たら役に立たないことはざらにあります。また逆に、学校教育で良くない成績の人が社会では、大きな成果を上げる話もよく聞きます。
暗記教育の弊害は色んなところに現れます。
2.答えの裏には必ず質問がある
答えと共にあるのは一体どうして人生では必ずしもうまく行かないのでしょうか?
答えですのに。
あなたは、答えには条件が付いていることを考えたことはありますか?答えには、実はそれが答えであるべく条件が潜んでいます。その条件の間だけは、それが答えとして成り立ちます。
人生では、その条件を満たしていることの方が少ないでしょう。だから答えだと思うことは、実は人生では条件が違っていて、答えには成り得ていません。
そして、答えには必ず裏があります。
裏とは質問です。
答えとは、何に対する答えなのか?
それは、質問に対する答えです。
3.良き質問に恵まれること
世の中にはいろんな質問があります。
その質問に対応する答えがありますが、人生にとってどのくらい実りある質問と答えになっているのかは、それを見る目を持っていないとなかなか分かるものではありません。
「地球上に、雑草は何本ありますか?」
このような質問をあなたが持ったとしましょう。では、その質問に対する答えをあなたが得たとして、その質問と答えが、あなたの人生にどのような役に立ちますか?
今まさに答えを手にしたとして、
今まさに人生に実りありますか?
この例えがうまく行ったかどうかは分かりません。ですが、お伝えしたいことの何たるかを感じて頂けたかとは思います。
色んな質問があります。
その質問に対応する答えと出会います。
質問と答えを持って人生。
良き質問に恵まれるなら、人生が実り豊かなものへと変化していくでしょう。
良き質問に恵まれてみて下さい。
読んで下さってありがとうございました。
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