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AI時代。人間は選択を迫られる

ディープラーニングによって飛躍的に進化したAI(人工知能)は、限られた範囲の中では極めて高いパフォーマンスを発揮して囲碁や将棋などある職業のプロを上回るところまで来ています。人間がやってきた仕事の大半はAIがより上手に手掛けるようになります。

AI時代から心の時代へ。今、人間は選択をする時ではないでしょうか?

1.進化したAI

AIはディープラーニングで進化しました。
文字通り進化です。

地球生命がアメーバから進化した説がありますが、初期の生命は未だ目を獲得していませんでした。目という器官も機能も、地球生命の進化の中で生命が獲得したものです。

長い間、目がなかった時期があります。
目を獲得した頃から劇的に変わります。

カンブリア爆発と呼ばれている時期、その前後では地球生命の大進化は短い間に劇的に変化したと言います。その爆発は、宇宙Bigbangに因んで生命のBigbangとも呼ばれている程です。

2.目を獲得したAI

そのイメージを借りる人がいます。
AIは目を獲得した、と。
ディープラーニングによって。

実際、目を獲得してからのAIの認知能力は非常に高くなり、人間の誤認知率と変わらないか、AIの誤認知率の方が低くなっているというデータも紹介されていると聞きます。

人間の目よりも性能の良いAIの目。

特化した分野では、既に記憶力や判断力なども人間のそれを上回っている状況があり遂に、機械たちは目を手にします。

3.5感覚を獲得するAI

この延長は想像できますね。

やがては、耳を手に入れ音声認識の精度や翻訳機能が充実し、ドラえもんの翻訳こんにゃくと変わらない商品技術が完成することでしょう。また、鼻を手に入れ、舌を手に入れ、皮膚を手に入れる時が想像されます。

5感覚を手にする機械です。
関節も手にすればどうでしょう。

4.それはAIか、人間か

外観は完全に見分けがつきません。また、情報データの入出力も人間のそれとほぼ変わりません。その時、機械・ロボットのそれを本当に、人間ではないと見抜けるでしょうか?何を質問しても、人間らしい返答が返ってくるとき・・・それを人間ではないと見抜くことは至難の業かも知れません。

現に、人間にとってはそれが植物であっても、動物であっても、たまごっちであっても、aiboであっても、愛する対象に成り得るし、愛して欲しい相手に成り得ます。

5.機械の特徴。だが同時に・・・

機械の特徴を挙げます。

  1. 覚える
  2. 判断(〇×)する
  3. 繰り返す

他にもあります。
簡潔ではこのようなところ。

6.機械と同じ人間

では、人間はこれをやらないでしょうか?

もしあなたが、覚えることから初めて、〇×判断を行い、同じことを繰り返しているのであれば、それが教育ならその教育は機械が余程に上手にこなしますし、それが作業なら余程に上手にこなしますし、それがライフスタイルなら余程に上手にこなしてくれます。

このことの意味を考えたいところです。

実は人間生活は機械的であった。
そういうことです。

7.機械的な生き方

機械的な生活は全て機械がこなします。AIが目を手にしただけで、プロ棋士たちは囲碁も将棋も負けました。脳を手にした訳ではありません。未だ、目を手にしただけです。

優れた目がプロ棋士を負かします。
この先、機械的な人間は負けます。

良い悪いではありません。
効率化に走る資本主義社会ではそうなります。もっというと、社会が物質的であり機械的であるなら、その社会はAIが担います。

覚える
判断する
繰り返す

そのような文明社会はAIが余程に上手くこなしてくれます。便利だから人間は受け入れるでしょう。今までと寸分たがわず、寧ろより精密で手早く。

8.選択。ライフスタイルの変化

ですから選択のときです。

今、AIが社会に浸透していく流れを止めることはできません。そもそも、文明社会が望んでおり、1人ひとりの無意識も望んでいるからです。

ただ、1人ひとりの意識はどうでしょうか?

機械に配慮されるほどに優しければ問題ありませんが、今のところその兆しはなさそうです。何故ならば、社会と機械は別物ではなくて、機械的な生き方をしているという点で非常に似ているし、寧ろ全く同じ機能だからです。

人間が変わるときです。

機械のことは機械に。
AIのことはAIに。

任せましょう。

9.シブい質問

人間とは一体なんでしょうか?
人間を追求するときです。

人間らしい人間の生き方とは何でしょうか?
人間は今、選択を迫られているときです。

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日本は製造業から離れて真のイノベーションを

令和日本です。

令和がある時の日本と令和の幟が立っていない時の日本はまるで違います。令和の幟が立たない中では日本が製造業に走るのは良かったと思います。

ですが、令和の幟が立っています。
製造業から離れる時です。

真のイノベーションに向かいましょう。

イノベーションとは何でしょうか?

それまでの旧きものを一切、振り払って全く新しい一つが登場することです。そして同時に、全く新しいその一つによってそれまでの旧きものによって得ていた恩恵の何十倍も何億倍も何兆倍も遥かに大きな恩恵をもたらしてしまうことです。

安心して旧きから離れられるというもの。
新しいものは旧いものを駆逐しません。

寧ろ全てを高めていく底上げです。

今までの旧き良きものは何であったのでしょうか?それこそ正に、Made in Japanの奇跡です。世界を感動させ一気に世界の水準を高めてしまいました。

ところが今はもう、高め切った感がありますし、製造業の中心は世界にパスして良い段階です。日本でなくて良いのです。

世界にパスとは更にどういうことでしょうか?
AIにパスするということです。

今からいち早く準備しなくてはならないのは、AIにパスしたら遥かに良くなるのですがその時に人間は何をやるのかという点。

それこそ真のイノベーションです。
旧きものを全てAIに任せて。

では、真のイノベーションに対応する具体的な産業とは一体なんでしょうか?科学技術が終焉し物質文明の出口が見えてくる時、全く新しい技術が誕生することとも繋がり同時に次なる段階の文明を築いていくことにも繋がります。

あなたはどう思いますか?
真のイノベーションとは。

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何ごとも自分ごとで思えたなら

AIを自分ごとで思えること

これはとても有り難いことだと思います。AI(人工知能)を自分ごとで捉えられること。AIに限りませんが人は多くの社会問題や技術そして情報知識を自分とは関係のないことだと捉えることが多いものです。

それを自分ごとで捉える。
どういうことでしょうか?

自分ごとで捉えるとは簡単なことではありません。地球環境汚染が如何に深刻であるのか、いじめや暴力が横行していることが大問題であるのか、そのことに胸を痛めたとしても、毎日の行動はそう簡単に変わらないものです。

明日から何をしますか?
その時から変わりますか?

多くの人は、意識が変わったり行動が変わるということはないのだろうと思います。

自分ごとで捉える。
それがどういうことなのか。

その一端が垣間見えるのではないでしょうか?とても難しいものを背負い、人によって現象は様々ですが、責任感の重さを感じたり、ストレスやプレッシャーに押しつぶされたり、やらされてる感覚になったり、どんなに頑張っても変化が見られないことで意欲が削がれ、意味価値を感じられず、虚無に向かうことかと思います。

やり続けていても成果が見えない。
そのようなことが多すぎますね。

一つの問題を取り上げてもそうです。ですが今や問題は他の問題と繋がっており、お互いに変な絡み合いがあって、それだけなら良いのですが変に連携連動が起きていることで、簡単に解けません。

まさに糸の絡み。
簡単に解けません。

だからこそ。

自分ごとで捉えること。
諦めたくなるものです。
考えないようにします。
切り離すかも知れない。

それらは当然のことで、当たり前なことなのでしょう。それでも暗いのは嫌だということで、切り離した後にはスッキリしておりたいし、明るくありたいので、その他の良いところを見ようというのです。

自分ごとで捉えることは、
とても重苦しいもので、
悩みや苦しみが増えます。

ただ、それはある条件の下でそのようになっているということも多くの人は気付いていません。条件の下で自然にそのようにセットされるということを分かる人にとっては、その条件を解除すれば全く違う条件をセットすることで自然に違う結果現象へと生まれ変わっていくことが分かります。

そしてそれが自分ごとです。
自分が中心となって変えていく。

自ら背負い、意欲は削がれず、重苦しいことなく寧ろ楽しんで取り組み、気付きと感動が溢れるようになります。

自分ごとですから。

誰かにやらされるとか、嫌々向き合わされるなどは一切なく、自らの力の無さを嘆くことなく、未熟を愛し、常に常に成長進化していく姿を確認し協力者が次々と現れてくる。自分ごとで捉えるとは本来、そういうことです。

AIを自分ごとで思えること。

本当はそれはとても便利なことで、楽なことで、毎日が楽しくて堪らないことです。そうしますと一体、AIを自分ごとで捉えられない理由、そしてそのような条件とは、何なのでしょうか?

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暗い話題が多い今の時代に

希望を語りたくなる時ですね、確かに。このような方向性喪失、リーダーシップ不在と思えるような世界の混沌ぶりと、日本国内のマスコミを中心とした暗い話題が多い今の時代ですと。ですが、本当に大切なことは希望を語ることなのでしょうか?

今日は、暗い話題が多い今の時代に触れる記事を書き綴ります。

希望そのものは大事です。
暗い話題の時にも、でしょう。

ですが、このような経験はありませんか?希望が薄れ、断たれ、やがては失望や絶望に至る。ともすれば、希望など持たぬ方が良かったのだと無気力に陥る。

希望そのものは大事です。
暗い話題の多い今にも。

ですが、御幣を恐れず大胆に表現しますが、絶望と切り離された希望などありはしませんし、絶望と直面して向き合った結果、絶望そのものと仲良くなるという過程を通過していない希望は、薄っぺらい希望であり、やがては破られるものとなるでしょう。

暗い話題が多い今の時代。
希望を見せる話があるでしょう。

ですが、絶望と切り離された希望ほど危ういものはなく、更に言えばそんな希望こそより深い絶望であり、そのような絶望が希望っぽいものへと形を変えて騙してくること自体が、恐ろしい絶望っぷりと言えるのではないでしょうか?

絶望の最中に合っても、そこと向き合えること。そこで笑えること。そこでも幸せでいれて人徳溢れていること。究極の絶望であっても、です。

そんな生き様こそ、真の希望ではないでしょうか?簡単に話にできる希望ではありませんが、絶望と共にある元気な姿として生きる希望なのだと思います。

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本当にどうして?哲学は影響力が小さいの?

文明を発展させている牽引役として直ぐに思い当たるのは科学(技術)であるかと思います。科学技術は最先端技術ほど日進月歩と言われており科学の進歩はかつてない程に早い。

この科学と比べると哲学は。
ふと疑問が沸き起こります。

科学の進化発展は著しく、文明に与える影響も大きいですから、私たち1人ひとりのライフスタイルにも大きな変化をもたらします。職業や産業も科学がもたらしてくれます。日常生活を取り囲む尽くは科学の恩恵を被っているものばかりです。

それに対して。

一体どうして哲学は、科学ほども進化発展が見られず、文明を築いているとも思えず、ライフスタイルにも影響はなく、更には職業産業になっていないのでしょうか?

哲学で食べている人を見ません。
哲学でお金持ちを知りません。

この違いとは一体何でしょうか?

今は本当に哲学が必要な時代。
哲学なき生き方は通用しません。
哲学なくして生きていけません。

AI(人工知能)の飛躍的進化もありシンギュラリティ(技術的特異点)を迎え科学技術の終焉、物質文明の終焉のこの時に、哲学の出番が今まさに来ています。

それなのに文明を築く力のない哲学、職業産業を生み出さない哲学では、来てる出番に対して何も発揮するものがないではありませんか?

令和日本から哲学ブームが始まる。
英雄集団日本を築く上でも。

哲学そのものを整理する時にあります。
この質問にあなたならどう答えますか?

科学技術と比較して一体どうして、哲学はここまで影響力が小さいのでしょうか?その理由とは何でしょうか?

いつもお読みください有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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技術的特異点が科学に与えるもの

2045年には技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えると言います。人間が発見したり発明するよりも早くAI(人工知能)がその仕事を済ませており、しかも自分より優れたAIをコピーするために、その時より以降は人間が技術面において発見と発明をすることがなくなるというものです。

技術的特異点を迎えること。

科学にどんな影響があるでしょうか?
人間にどんな影響があるでしょうか?
また哲学に与える影響は何でしょうか?

技術的特異点より先は、実は人間による科学技術の進展はないということを意味します。つまり人間の手による科学技術は終焉を迎えます。

人類文明を大きく牽引してきたのは、ある時からは科学技術でした。科学技術はモノを変化・運動・移動させる技術で物質文明を育てます。

その科学技術が終焉を迎えます。
人類による物質文明の終焉です。

ではその先は?

もう人類文明の発展を科学に任せることは出来そうもありません。認識対象を開発する科学の領域はAIに任せれば、より早く、より便利に、より緻密に手掛けてくれます。

そこで残るのは認識主体。

認識主体を啓発する領域は未だ、人類が手掛けられる領域。それこそ、哲学です。

2045年になってから準備するのでは遅いです。シンギュラリティが予想されている今もう既に、物質文明は鈍化していますから文明創造は今から始めておきたい。

ここに哲学の役割があります。

哲学が新産業を創る。
哲学が新文明を創る。

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哲学をブームにする時代

今の時代、特にこの日本では。
最も哲学を必要とする時代です。

AI(人工知能)の登場、そして新型コロナウイルスの登場。これらによって、物質文明は終焉を予感させ世界の知性は慌てふためき文明の土台から揺さぶられている状態です。

物質文明の終焉。
科学技術の終焉。

この時にいち早く哲学をブームにさせていくことで新しい文明を築く準備となるのではないでしょうか?

今までにない新しい哲学。
令和哲学にその可能性があります。

全く新しい哲学と言えるには。
それまでの哲学を言うこと。

今までの哲学の共通点とは一体何でしょうか?それを分かることで今からの時代、この日本から哲学ブームを起こす可能性と出会います。

今から哲学ブームが興ります。
日本から始まります。

そんな新しい流れを前にして、今までの哲学の共通点であり限界であり弱点を整理整頓しておきましょう。

あなたはどう思いますか?
今までの哲学とは何でしょうか?

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今の時代。「役に立ちたい」とは?

1.今の時代とは?

今の時代。
特に令和日本のおいて。

役に立ちたいという想いがありますね。とても聞こえが良いのですが今の時代に照らし合わせながら特に、令和日本において見たときに、聞こえの良い役に立ちたいということは一体どんな意味があるのか、に触れたいと思います。

今の時代とは何でしょうか?

社会を推移させ前進させる技術革命が度々起きている中で今は、AI(人工知能)革命によるAI時代、AI社会に突入しています。農業革命、産業革命、IT革命、スマート革命の下で起きています。

AIが登場しています。

そして令和二年には新型コロナウイルスが登場して全世界を根底から揺さぶっています。文明の底辺から揺るがし世界の知識人は右往左往し、リーダーシップは責任から逃れようとしています。

新型コロナの登場です。

このような時代では量子力学的な世界観が極めて強く、状況によってコロコロと変わっているかのような不透明、不鮮明な時代です。

部分を見るときに特に。
顕著に現れます。

2.全体の動き

部分の動きに関心がある場合は、動きが早すぎてよく分かりません。ところが全体の動きに関心がある場合は、早すぎる動きがどんなに早くとも、全体像として捉え続ける知恵を手にしているので部分を見てるときのように振り切られません。

全体と部分の関係をよく見ます。

さて、役に立ちたいという想いは今までの話の流れの何に対応するでしょうか?

それは、全体ではなく部分という点。
部分的に役に立ちたいということ。

全体を分からないままで、一部分ならよく分かるし、一部分なら発揮できるし、一部分なら着いていけるし、などの発想があるのでしょう。

そして実際、人間は部分を取ります。
全体を取るようには出来ていません。

一部分で良いから、そのポジションで役に立つとか、誰かに認定されたいから役に立ちたちだとか、まるで在るだけでは罪深き存在であるかのように。

誰かの役に立つ。
何かの役に立つ。
これで役に立つ。

全体を見る立ち位置からすると、一部分に収まって役に立ったとしても、全体像からして意味があるかどうかは不明ですし、場合によっては、別の役割の足を引っ張るなどして摩擦衝突が起きてしまいます。

役に立つことが
足を引っ張る

何ともジレンマではありませんか?

令和哲学。全体の動きを理解する良き道具

役に立つということ。
今一度考えてみて下さい。

全体を見ることなしに役に立つなどと、本当の意味で在り得るでしょうか?全体と連携連動が起きていないのに役に立つとは滑稽な話。

今の時代。
特に令和日本。

全体の動きに関心を寄せるときです。
令和哲学は良き道具となるでしょう。

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役に立ちたい。それは本当に・・・

あなたもよく耳にすることではないですか?あなた自身も言ってきたことかも知れないですね。言わなくても思っていることではないでしょうか?

役に立ちたい

そう思っている人は多いのだと思います。とても聞こえの良い言葉ですし、聞くにしても言うにしても人の好さのようなものを感じます。

ところが今の時代。
特に日本において。
哲学が必要な時に。

役に立ちたいというのは本当に・・・

今は量子力学的な時代でもあります。少し前まで正しかったことも間違ってしまう時でもありますし、今が正しくても少し経てばもう正しくなくなったりする不透明な時代です。

見たと思ったことは本当に見たまんまの有り様として、そこにあるのでしょうか?

全てが揺らいでいる時代です。

役に立っていると思えることも本当に役に立っているのかどうか自体を見直しても良い時にあります。

役に立っていることは全体から見たら本当にごくごく一部分の些細なことかも知れず、しかもちょっとしたことで泡のように消えてしまうものかも知れません。

役に立っていること
本当に意味があるのか

AI(人工知能)が登場しコロナが登場している今ですから、役に立つということ自体も今の時代なりの意味合いがあって良いのではないでしょうか?

つまり、意味のあること。
本当に、意味があること。

それを探すことは大切だと思うのです。意味はどうやって生まれてくるのか?本当に意味あることとはどういうものなのか?

役に立つという話だけではなく。
意味があるということを添えて。

令和哲学カフェのテーマでも上がっていたことで、本ブログでも取り上げたくなりました。

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アイデア枯渇の時代

今、人間社会は大抵のことを経験しているように思いませんか?情報知識の共有はとても早く行われ、新しく生み出された情報知識も次々と生まれています。

ただ何故か、経済活動となると。
次第に景気は下がっていきます。

人間社会が大抵のことを経験して大勢の人たちは急速に学べる環境があるために、欲求が満たされ満足してしまいます。人間の欲求は、満たされるとその領域にはいられませんので、最早同じところでは満たされません。

お腹が一杯の時に。
美味しいものは美味しくない。

今の時代は、社会が成熟していて、最早大勢の人たちの欲求が満たされるのが早いのです。

言い換えるとマンネリです。
マンネリを打破する難しさ。

マンネリ打破をしようとしてアイデアが生み出されてきますが、大抵のことをやり尽くした感がありまして、実はアイデアが枯渇している時代です。

ですから、景気は徐々に下がります。
今、経済は点滴状態で瀕死です。

アイデアまでが枯渇している時代です。

よりもっと深いところから、何かを変える必要がある気がしてきませんか?

心の時代。
心に直接、働きかけること。

このアイデア枯渇の時代に。

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