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Noh Jesu

詐欺師。誰もが皆んな

衝撃の物言いです。
踏み入った表現をします。

誰もが皆んな詐欺師。
根拠のない話ではありません。

本ブログに関心のあるあなたでしたが、読み進めていくうちに、この表現の何たるかを何かしら感じて頂けるかと思いますので、懐深く読み進めて頂けたらと思います。

多くの人が変化を案内します。
そして変化しようと試みます。
実際に変化したとも思います。
満足する人もいるかも知れません。

ですがよく考えてみて下さい。
皆んな、目で見ていますよね。

目で見たら見えなくなるものがあります。それをご存じでしたか?人間、誰もが皆んな目でモノを見ますし、見えるものが多くあると思います。

今日は、目で見るからこそ。
見えなくなるもの。

これを紹介します。
ズバリ、今ここです。

何度か本ブログでも紹介してきましたが、あなたが思う時間はありませんし、あなたが思う空間も、人間も、エネルギーも、実在しません。

今ここ実在しているのは源泉動きのみです。
それが目では見えなくなります。

どういうことでしょうか?
時間の概念を借りてきます。

あなたが目でモノを見るということを取り上げます。よく聞く話ですが、太陽を見たらその太陽光は8分ほど前に太陽の元を放たれた光であるという事を聞いたことはありませんか?

光が目に到達するには有限の時間がかかります。
太陽を見たという時の太陽は過去の太陽です。

では、月は?地球は?東京から見た福岡は?
そのようにして細かく見ていきます。

当然、どこまで行っても過去ですよね。
どんなに距離が身近であったとしましても。

それは過去の姿です。
今ここではありません。

また、脳内の電気信号が流れる時にも有限の時間がかかりませんか?脳は、大脳新皮質もありますし、側頭葉もり頭頂葉もあります。海馬もあります。これらの間を電気信号が走ると言いますが、ここに有限の時間がかかりますね。

今ここの反応ではありませんね。
目で見て脳で処理することは。

如何でしょうか?

目で見ては絶対に見えないもの。
それが今ここです。

ところがよく考えてみて下さい。

今ここを見ていない。
だけど常に今ここ。

本当は今ここの連続。
本当は過去さえもなく。
今ここだけがあります。

今ここの連続で成り立っているのに、人間の目は、あなたの目は過去を見ているという・・・不思議。

さて、今ここを見ることができない。
それは今ここ起きていることが分かりません。

現場は常に今ここですのに。

目で見たら喪失された今ここである過去。過去を見ていながら、未来を夢見て、現在にいると錯覚し、過去から未来へと進みより良い未来を創造しようとして変化していますが・・・

変化ではありませんね。
今ここの変化とは関係ありません。

今ここの変化を無視して本当の変化ではありませんし、あなたと繋がった変化にはなりません。

なのに変化であると思っている。
本当は違うのに騙しています。

目で見て脳で処理したら失う今ここ。
真の変化。実在。

それらを全て裏切って、偽物の変化をしようと自分を偽り、相手を偽り、相手から偽られ、何かを偽り、何かから偽られ、、、詐欺師に溢れています。

今ここを無視しているのに幸せを語る。
何て詐欺師であることでしょうか。

今ここを勝利すること。
それこそが真の人間の仕事。

今ここの勝利。
そのことを彼は言います。

令和哲学者Noh Jesu氏。
今ここ、目で見ちゃダメ!

それでは一体なにでみるのか?
彼に確認してみて下さい。

令和哲学カフェにて。

彼ほど、今ここを大事にする人はいません。
歴史初、世界初で、今ここを強調する人です。
今ここを明らかにする人です。

こんな大偉業が他にあるでしょうか?

今ここ目で見ちゃダメ!
では何で見るの?

令和哲学カフェにて。
ご確認を。

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Noh Jesu

Noh Jesu。新文明の中心地

あなたの身の回りにはそんな人はいますか?今から新文明が興ろうとするとき、必ずどこか始まりの地がありますね。そんな始まりの地にいる人が、あなたの身の回りにいたら、こんなに幸せなことはないと思いませんか?

本日のテーマは、「Noh Jesu。新文明の中心地」です。

1.文明歴史。多くの人にとって

無関心と思う領域かも知れません。
文明歴史というやつですね。

まさしく宇宙自然と同様に。
一部の人には受けが良いでしょう。

しかし、多くの人によっては無関心で興味を惹かれない領域であることが多いようです。そして、本ブログに関心を寄せて頂いているあなたは、大勢の中というよりは少数の側なのでしょう。

2.興るものには始まりがある

インダス文明は、インダス川流域。
黄河文明は、黄河流域。
イギリス産業革命は、イギリス。
アメリカIT革命は、アメリカ。

大きく見ますと、初めて興るものは必ず始まりがあります。テーマにある新文明という文言は初めて興るものとしてイメージされますので、これは始まりがあり、その中心地があります。

3.興る。何によって?

イギリス産業革命であれば、機械の力の発見によって興りますし、更にはガソリンエンジン、ジェットエンジンなどの発明によって安定的に広がり定着していきます。

発見と発明です。
これによって興ります。

新文明が興るのも然り。
発見と発明です。

4.事実化されて文明歴史

文明歴史を新たに興そうとする人の数よりも、既にある文明歴史に従おうとする人の数の方が圧倒的に多いものです。

人間は社会的な存在。
社会的に生きる姿勢があります。

客観的なものに沿おうとします。
それで事実が大きくモノを言います。

まるで事実が大きな力を持っているかのように、個人一人ひとりはその力に沿って意思決定します。事実化されたものが結果的に文明歴史へと成り代わっていきます。

そうです。

大勢の人は事実に沿います。
文明歴史に従います。

大変に大勢です。
文明歴史は簡単に変化しません。

5.文明歴史を動かす者たち

実に大勢の人に比べて極めて少数の人たちが文明歴史を動かそうと試みました。それはより良く生きようとしてのことですから精神体である人間として当然のことかも知れません。

そして、新しい文明歴史へ変化させようとする人の大半は、今までの旧い文明歴史がどういうものであったのかもよく学び、その特徴をよくつかみますね。

事実です。
大勢が従う事実。

如何に事実をひもとくのか。
そのことで文明歴史の中心軸を移動。

6.事実では無理。脳の観点の結果物

大勢が事実に沿うからといって事実をひもとき、その力を使って大勢の人の方向性を変えようとするのは一見すると分かり易く理にも適っていると思えます。

しかしよく考えてみて下さい。
事実と言いましてもその範囲は?

人間が事実と思うとき、その範囲に太陽を入れる人は余りいませんね。普通は、目の前の事実、或いは目の前でなくとも他の人の目には入る事実だと思っているでしょう。

ところが紛れもなくその事実。
よく見ると地球上の事実です。
そして太陽系の影響を受けます。

太陽系が変化したり、銀河系が変化したり、宇宙が変化したならば、脆くも地球環境下は変化しますから、事実と思っていたそれは簡単に覆ります。

事実と言いましても。
脳の観点に固定している状態。

ですから、条件によってコロコロと変わる錯覚現実相対世界の影響下にあります。それでは、文明歴史を変化させることなどできませんね。

事実では土台無理です。
脳の観点では無理です。

7.突破。Noh Jesu氏

だから偉業だと言えます。
Noh Jesu氏。

彼には発見と発明がありました。
源泉動きの発見と活用する発明。

宇宙すべての存在を存在させ、その存在を変化 運動 移動させる源泉動き。その大発見と活用する大発明。

脳の観点固定に束縛されない。

新しい文明歴史が興る場所。
その中心地。

そして今、その人に生きて会うことができる。
こんなワクワクすることが他にありますか?

ぜひ、あなた。
確認してください。

令和哲学カフェで会えます。
質問もできます。

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令和哲学カフェ

真実の発信。ショーペンハウアー曰く

歴史上、真実を発信してきた存在がありましたが、どのような反響があったのかについてショーペンハウアーが言ったことがあります。令和哲学カフェで紹介された哲学者ショーペンハウアーは何を言ったのでしょうか。

あなたは想像がつきますか?

あなたは真実を発信したことはありますか?あなたなりに精いっぱいに、心を込めて、一生懸命に、真実を伝えたときの身近な人の反応といえばどのようなものであったでしょうか?

そのような話です。

歴史上、真実の発信は何度か行われています。有名どころでは釈迦がそうでしょうし、Jesusもそうでしょう。

ショーペンハウアーは、西洋の出でありながら仏教を学んだ特異的な人物です。哲学者カントが大好きだという話ですね。

令和哲学カフェでは、哲学者らしい哲学者としてカントを認める点から見てショーペンハウアーに一定量、評価できる哲学者であると見ています。

ショーペンハウアーは、こう言います。

真実を伝えたとします。
するとその反響は3段階となるでしょう。

1段階目・・・無視される

真実を高らかに告げたとします。或いは普通に告げたとします。それがどんな伝え方であったとしても、無視されるのが最初の段階だと言います。

当然のことでしょう。

現実の観点からすると、真実というのは信じがたい奇怪でおかしなことを言うものです。真実とは聞こえが良いものですが、現実的観点から真実の話を聞けば実は現実の外なので、関心の対象外。

それでも真実を伝え続ける。
すると次の段階へ行きます。

2段階目・・・軽蔑される

バカにされるでしょう。無関心だと全く目に入らないでしょうし、入っても認知されない。そんな段階から、目に入るようになり、認知されたならば、やはり現実的観点から見たら奇怪でおかしなことだと言うことがハッキリします。

当然、嫌悪されます。

奇怪さがパワーアップ。おかしいし、危険だし、愚かだし、何とも形容しがたいことを言い続けている人になります。

だから、馬鹿にされること必死。

それでも真実を伝え続ける。
すると次の段階へ行きます。

3段階目・・・認められる

真の価値として、大層な偉業として、大きく認められるという段階。馬鹿にされるほどのおかしなことであった現実の外であった真実でしたが、そんな真実によって現実が成り立ち現実の見方自体が大きく変わってしまう頃、大きく認める段階になります。

真実に到達した人であっても、この3段階目に到達することは中々ありませんし、到達しても時代を跨いで到達することばかりです。

ショーペンハウアー自身も。

真実を語ってきた存在を、この段階に照らしてみて下さい。本当だ、と思うことでしょう。そして、他の記事に譲りますが、令和哲学者はどうであるのかについて書いてみたいと思います。

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Noh Jesu

Noh Jesu。救世主を創る救世主

何ゆえにそのように言うのでしょう。
根拠なしにタイトルを付けません。

ずばり、仏教とキリスト教を融合することができる原理を発見したのが令和哲学者Noh Jesu氏。

それ故に、です。

仏教もキリスト今日も、宗教というジャンルに属しますが出発点となる人物がいます。

仏教であれば釈迦。
キリスト教であればJesus。

どちらも真実に到達した存在。

釈迦は2500年前に悟りを得て、その後に弟子たちが仏教として教えを広めています。そしてJesusは2000年前に神の子として真実を語り、その後に弟子たちがキリスト教として教えを広めています。

哀しいかな両者は和解していません。
争いは酷くはありませんが不仲です。

真実を悟り知った出発点でありながら、そして救済する存在として十分な資格がありながら一体どうして、後世に彼らを信仰する人たちは不仲なのでしょう?

それは、出発点の次。
弟子たちが真実に到達していないから。

彼らは錯覚現実の内におりました。
先生と同じ境地ではありません。

nTechからしたら当然です。
1分1秒も他人の認識画面は共有されない。

弟子たちは救世主にはなれませんでした。それ故に、その後に続く後世の人たちはお互いに不仲です。未だに、仏教はキリスト教との融合を図れず、またキリスト教も仏教との融合を図れません。

そんなことを可能にする原理。

それは確かにありそうですよね。
何せ真実は確実に真実。

真実に基づく原理は必ずあります。
Noh Jesu氏。彼が発見しました。

これ、どのくらいの偉業でしょうか。
世界中で、歴史を経て、涙する世界。

日本から興りますよ。
ルネサンス。ネクストルネサンス。

ぜひ確認してみて下さい。

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nTech

因果関係。錯覚現実相対世界

文明先進諸国に共通する深刻な問題の一つに雇用問題があります。実は、AI(人工知能)が登場するまでもなく、長い時をかけて、仕事場から人間の居場所がなくなってきています。

テクノロジーが変わりイノベーションが起こりライフスタイルが変化することで、旧き職を失ってきています。

雇用問題は大変深刻な問題です。

一方で、旧い職を失うものの新しい職が必ず生まれてくるという体験からくる経験論や、期待が見え隠れする楽観論もあります。今までもそうだったのだから、今からもそうなるという論理です。

今までの成長レベルでしたら、その通りでしょう。しかし、ディープラーニングで飛躍したAIや、今からまだまだ飛躍するAIは最早、成長レベルを通り越して進化レベルと言っても過言ではありません。

体の延長を助ける道具でした。
脳を直接助ける道具の登場です。

随分と様相が変わります。

人間を上回る知能の持ち主はゼロでした。
それが遥かに上回るのがAIたちです。

今までとは勝手が違います。

ところで、人間は錯覚現実相対世界で生きる以上は必ず、因果関係に支配されるようになります。

時間に逆らえますか?
重力に逆らえますか?
飲食せずとも生きられますか?
生老病死から自由ですか?

必ず、原因があって結果があって、その法則から抜け出ることが出来ません。数学や物理学など、科学技術も因果関係の下に成り立っています。

社会も因果関係によって成り立っています。
生きていく上では因果関係の束縛を受けます。

雇用問題も、そのような原因があって起こる結果現象。だから、錯覚現実相対世界でそんな結果現象を変えたいのであれば、原因を変化させるしかありません。

ですが、原因にはそのまた原因があり、更にそのまた原因があって、第一原因までさかのぼれるかと言いますと限りがあると思いませんか?

例えば、あなたを生まれるようにさせている原因は、父母だと思いますが、更にその父母、更にはその父母とどこまでもさかのぼるとき、あなたはそこにいますか?

また、雇用問題にしましても、ディープラーニングの技術や進化するAIなどを支えている技術の背景にある概念は、日本独自で誕生したものではなく、アメリカやイギリスなど西洋を根源として生まれたものばかりです。それは科学技術だけでなく、経済や政治や文化芸術などの尽くが西洋の恩恵を被っています。そのときの西洋にあなたはいますか?影響を与えれるでしょうか?

人間は、自分の自由なる意思が働いていると一見、思えますが、第一原因までさかのぼることには限りがあり、実に多くのことにはあなたの自由意思は働かないかに見えます。

法律は簡単に変えれません。
税金も簡単に変えれません。
雇用問題も長らく深刻です。

自由意思がそうは簡単に通らない因果関係の中で一生懸命生きること。一体どんな意味があるのでしょうか?自分よりも先に影響力をもった存在を原因として、結果現象のあなたの今があります。

前提を覆さない限りは。

それは一人では難しい世界です。だからこそ、一緒に取り組みたいと私は思っています。一緒に前提を覆しませんか?

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人間は愛したい

愛したいのに愛せない。
どのくらい苦しいでしょうか?

本来、人間は無償の愛を注ぎます。
∞の愛を投入します。
愛は与えるもの。
あげて、あげて、まだあげて、まだまだあげる。

それが愛です。

ここまで、といった限りを設けないのが愛の特徴ですし、あげればあげるほど、まだまだあげたくなるのが愛です。終わりがなく、常に膨らみえるのが愛。

ところが体人間はそうはいきません。
なぜでしょうか?

あなたはどうでしょうか?

無償の愛をもらっていますか?∞の愛をもらって、もらって、まだまだもらっていますか?断言しますが、もらっていないでしょう。無償の愛を与えて、与えて、まだまだ与える体人間が世の中に居ないからです。

∞に膨らみ続けるならば。
今も常に常に膨らんでいる。

だけど、現状は経済活動に循環はなく、政治行政は不透明で、未来には希望を感じず、少子高齢化の文明病が先進文明諸国を襲い、地球温暖化がホモサピエンスを滅種に追い込もうとしている。一体どこに無償の愛があるのだ、と首を傾げたくなるほどに。

ただ、繰り返しますが本来、人間は無償の愛を注ぐもので、∞の愛を投入します。あげて、あげて、あげまくる。

人間は愛したい。
だけど、体人間は愛せない。

愛せないのが体人間です。
なのに体人間から愛をもらおうとする。

初期設定上、無理なことですが、一生懸命に愛をもらおうとする姿も、一生懸命に愛そうとする姿も、どれくらい意味があるでしょうか?その人生はどのくらい報われるでしょうか?

初期設定を超えない限り人間は・・・

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出会い不可能。会っているようで

人間は一人では何もできません。
生まれてきた時も一人ではありません。

必ず誰かと何かをしないと生きていけないようになっています。人は必ず他の人と出会うようになっています。

本日は、出会い不可能について書きます。

実は本ブログは、5人組を創ることを目的としていますし、英雄集団日本について書き綴る意志があります。英雄集団日本であろうとして5人組を創ろうとすることと、この出会い不可能というのは実は直結している話でもあります。

実は、よくよく見ると分かることですが。

人と人とは出会っていません。
出会い不可能が初期設定です。

一体、初期設定ゆえに人間には何が起きているのでしょうか?このことを理解することはとても重要です。

人間は、認識活動をしています。
5感覚を使って、脳で情報処理しています。

5感覚のうち、大部分を占めるのは目からデータを得る視覚ですね。視覚で得たデータを脳に送り、各部署に分けて処理をして、記憶と共に再融合して認識画面を創り上げます。

出来上がったその認識画面。
それが見るという行為です。

では自分が創った認識画面と全く同じ認識画面を創る他人はいるでしょうか?以前、本ブログでも記事にしましたが、1分でも、1秒でも、同じ認識画面を見る人はいませんよね。

母親や双子の兄、それから愛する旦那さんのようにどんなに身近な存在であったとしても、それから尊敬する先生や指導者、歴史上の偉人や賢人たちであっても、自分の立ち上げた認識画面と全く同じ認識画面を立ち上げる人は一人もいませんし、1回すらありません。

5感覚脳の認識に観点を固定する。
それは同じ認識画面は創らない。

そういう意味です。

例えるなら、全く違う時空間にいるようなものです。あなたが立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の火星にいるようなものだとしましょう。そして、あなたがとても仲の良い人が立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の土星にいるようなものだとしましょう。その他の人の認識画面は、火星にも土星にもいないということになります。

会話は成立しませんよね?
本来であればそうです。

ところが、不思議なことに同じ宇宙空間を共有しているからか、まるで同じ時空間にいるかのように、会話が成立しているように錯覚しています。

本当は、同じ情報知識ではありません。
データ元が、火星/土星/その他くらい違う。

同じデータを見ているようで実は、全く別のデータから始まっています。それが各々が創り上げた認識画面であり、見るという行為です。

出会い不可能。

会っているようで会っていません。

出会っていると思う人生は何でしょうか?
その人生は意味があるでしょうか?

出会い不可能。

このことに気付くことです。
問題を発見することです。

出会い不可能を横に置いておいたまま、一生懸命に交流しようとしたり、理解してほしいと思ったり、理解してあげようとすることに、人生の意味はありません。

今ここ、出会い不可能。
今ここ、出会いを可能にするには?

観点の固定がもたらす問題に気付き、時空間の違いを超えて先ずは全く新しい人生が何であるかを知ることです。

何故、5人組を創ろうとするのか、英雄集団日本だと何故言えるのか。そこにも繋がる話です。観点固定の問題を解消する新しい人間存在として今までにない全く新しい出会いが開けてくるからです。

出会い不可能。
観点固定の人生に意味はない。

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理想から出発するnTech

こんな時代だからこそ理想から出発することが大事だと思いませんか?多くの方は総論に賛成し、しかし各論に入ると反対もしくは保留をするでしょう。

一体どうしてでしょうか?

理想から出発できればそれに越したことがないであろうことを多くの人は認めていますが、結果的に選択するのは現実から出発することです。

理想出発が良いのか。
現実出発が良いのか。

そんな論争にも終止符が打たれていないためか、理想出発が良いと分かりつつも多くの人は現実出発をするでしょう。

本当に。
一体どうしてなのでしょう。

もしあなたが理想出発が断然良いと思う方でしたら、本日の記事は参考になるかも知れません。理想出発について、少し掘り下げる記事になればと思い書き綴っています。

現実出発だと困る場合とは何でしょうか?
あなたは考えたことはありますか?

四季でいうところの今が冬とします。

あなたは、冬の季節に何かをするとき、それが現実出発であっても問題はないかも知れません。ですがもし、今が冬ではなく、しかも春でも夏でも秋でもないとしましょう。

氷河期です。
今が氷河期の入り口。

何万年という単位で氷河期。

あなたは、現実出発していて良いと思いますか?現実出発ということは、あなたは今を冬と認識していますから、次は春が来ると思って準備します。

ところが春は来ません。
今は氷河期ですから。

そうして、おかしいとあなたは思いながらも長い冬を持ち越すべく春の到来を待ちます。時々、暖かくなることがありますが、局所的に暖かくなるものの日に日に寒くなりやがて、夏になっても良い頃の季節のハズなのに、冬よりも過酷な冬であると気付き、ようやく疑問を抱きます。

そこからあなたは動き出します。
それが現実出発ということです。

現実出発をしていたら大変な目に遭う。
そんな一例を紹介しました。

一例ではありますが、このことから分かることの一つとして、理想出発が光るときというのがあります。それは現実出発では極めて困難な状況が想定されている場合、しかもそれが確実に到来するであろうことが事前に分かっている場合、理想出発が光ります。

人間の道へ進化してきた当時の動物人間たちであったのか、動物の道へ留まっていった当時の動物人間たちであったのか、その違いを分けたものと言ってもイメージしやすいかも知れません。

一見すると豊かな森を脱出して砂漠へ行くのは過酷な道であり、困難を極めるでしょう。しかし人間へと進化して種が保存されたのは、豊かな森を脱出した方でした。今では全ての動植物とは次元の違う領域へと進化しています。

nTechは完全理想出発です。
理想に始まり理想の過程で理想の結果。
結果的に結果が創られ、理想が現実化します。

現実を理想にするのではなく、理想だけで現実化していく道こそが、今の時代、特に日本には必要なのではないでしょうか?

nTechは貢献します。

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ego分離意識は分ける

ego分離意識は、何と出会っても分けます。それも、全部が全部を違うものとして分けるようします。

BはAとは違う。
CはBともAとも違う。
DはCともBともAとも違う。
Eは・・・

そのようにして、AもBもCもDもEも、それらのそれぞれは他のどれとも違うものとして分離するという特徴があります。体人間であれば誰もが皆んなego分離意識を持ちます。そして、人類700万年もの間ずっと、これを繰り返し続けています。

人間社会はどうなりそうですか?

果ては、平和になりますか?
果ては、争いになりますか?

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啓蒙の必要性

西洋では盛んに啓蒙活動が行われたこともあり、東洋の国々と比べたら形成される勢力に格差が生まれますし、文明にも圧倒的な格差が生まれました。啓蒙活動は主に、自分の置き所はこの体だという個人主義に基づいたものです。

本日のテーマは、「啓蒙の必要性」です。

1.時代背景。全体主義から個人主義へ

農業社会の頃は全体主義でした。
やがて産業社会へと変わります。

このとき、全体主義に対して個人主義へと変化していきますが、その変化が起こる一つのキッカケが啓蒙活動でした。

時代の変わり目は劇的な変化です。
ライフスタイルがまるで変わる。

旧いライフスタイルはストップしてこそ、新しいライフスタイルへと移動できます。劇的な変化が起きる最中では、全体主義を成り立たせている概念が壊れていくプロセスがあります。

全体主義とは何でしょうか?

一人ひとりは今のように引っ越しの自由も結婚の自由も認められていません。全て王様の許可がないといけません。王様と如何に一つになれるのか、それが全体主義です。自分とは一体何でしょうか、との質問があれば、王様を中心とした国家全体だと答えるかも知れません。

それをストップさせてこそ次の時代です。
次の時代とは個人主義ですね。

2.教育。自分とは何か?

自分のことを考えるならば、全体主義のときはそれは王様を指します。自分の幸せや成功を考えるとき、それは王様の幸せや成功を考えるのと同じ意味です。そして、結果的にそれは国家全体が幸せであり成功していると考えていますね。

そんな全体主義が終わります。
そして個人主義が始まります。

では直ぐにでも新しい時代を始められるものでしょうか?フランスで市民革命を起こした人たちが、全く新しいライフスタイルを提案しても、大勢の人たちはまだ、幸せや成功は王様と一つになることであり、国家全体を考える状態です。

王様は確かに権威を失いましたが。
それは自分の権威を失うようなもの。

王様のために生きてきた今までが根強く残っているものですから、自分のためといっても直ぐには始められません。

そこで教育が必要となります。

王様が自分ではないという教育。
王様ではない自分とは何者なのか。

個人主義が始まった頃は、自分とは王様ではないことを学び、また教え、同時に全く新しい自分という概念を学び教えることが盛んでした。

それが啓蒙活動です。
自分とは体人間のことだと。

神の下で平等なのだから、体人間一人ひとりが幸せになり成功する権利を手にしているのだと。

3.観点の問題。海とお魚

啓蒙は必要なことでした。

もし啓蒙がなされず教育が行われなければ、せっかく全体主義から個人主義へと移り変わる事件が起きたものの、旧い秩序が完全にストップしないまま、新しい秩序がスタートすることが極めて難しくなっていたでしょう。

その結果、以前の全体主義よりも強固な全体主義へと逆戻りしていたかも知れません。現代にもまだ独裁国家が残り、激しい戦争をしているかも知れません。

全体主義から個人主義へと移り変わる観点から見て、啓蒙活動や自分を体人間だと教育することはとても素晴らしいものがあります。

しかし、その観点が永続するでしょうか?
個人主義が浸透した頃も必要でしょうか?

全体主義を離れる上では必要不可欠な啓蒙活動または自分=体人間を教育することであっても、あくまでも全体主義を離れる前提での話。

もはや時代プレートが個人主義へ移ったならば。更には、個人主義においてもマンネリが起こり、全体主義から離れる必要性があった頃のように、個人主義から離れる必要性が生じている今でしたら。

自分=体人間を教育することは間違っています。

そして実際、行き過ぎた個人主義は個人主義の秩序さえも自らが破壊してしまうかのような無秩序へと突っ切り、AIが体人間を代行し、チップが体人間に入り、体人間がチップになろうとする今から。

自分=体人間を教育すれば未来がありません。

4.心人間。令和日本が行く道

自分とは何か?

これに対する理解が足りないから、旧い教育をやり続けているのだと思います。同時に、今はもう新しい教育が必要なときに来ていることも見えていないのだと思います。

個人主義を離れて次の時代プレートへ。

歴史上でも初めてのこと。
世界中で他に誰も言わないこと。

それを令和哲学者が言っています。

自分とは何か?

これに対する理解を補う必要性をずっと、日本で25年以上も言い続けています。令和よりも前から令和のライフスタイル。令和の幟が立ってからは令和哲学者としてより一層。

心人間として。

令和日本が行く全く新しい道を教えてくれています。そして令和日本が世界に教えていかなくてはならない新時代を創る次元の違った啓蒙活動について。

令和日本にしかできない仕事。

5.恒久世界平和。世界基軸教育

恒久世界平和の実現。
その資格があるとすれば令和日本。

その根拠に是非触れてみて下さい。日本をこよなく愛するNoh Jesu氏と出会うと明確になります。スッキリします。わくわくします。

かつては、観点の問題を超えることができなかった教育水準だったために啓蒙活動には限界があり、世界平和は観念で終わりますが、令和日本には世界基軸教育として魅力的な候補が誕生しています。

全人類が共有できる内容。
誰もNoが言えない内容。

そんなことがあるのか。
あればよいが現実は。

そうですね。

真実と錯覚現実の関係について誤解があるから、そのように思うのでしょう。理想だが現実には無理だろう、と。しかし、真実と錯覚現実の関係について理解を深めることで、スッキリ通ることを確認し、わくわくすることでしょう。

世界基軸教育が必要なとき。
令和日本には候補があります。

6.答え。あります

自分=体人間

その観点でしたら、真実と錯覚現実の関係性を明確に理解できる答えはないだろうと思うのは全くその通りだと思います。しかし、

自分≠体人間

の観点でしたら、答えはないという主義主張は間違っているかも知れませんね。そして、心人間と出会うことで、明確になる世界があります。

答えはあります。
あなたも出会ってください。

読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。