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あなたの目は正しく見ることが?

当たり前に目を使います。ですがnTech令和哲学では「今ここ目で見ちゃダメ!」と言います。その意味はとても深いのですが、別段深くなくとも「目で見たらマズいなぁ」と思わせてくれる映画や漫画など多数ありますね。映画「鬼滅の刃」もそうでした。

人間の目は正しくモノを見れるでしょうか?

これは、解説や説明を聞くよりも百聞は一見に如かずという諺もあるように、体験してみるのが一番ではないでしょうか?

正に、人間の目、あなたの目で。

如何に錯視をテーマにした映像を紹介します。

如何でしょうか?

一体なぜ、錯覚を引き起こしたのだと思いますか?説明できたら素晴らしいですね!

目を通して下さって有り難うございます。宜しいかったらメッセージなど書き込んで下さい。

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その他

AI時代。人間は選択を迫られる

ディープラーニングによって飛躍的に進化したAI(人工知能)は、限られた範囲の中では極めて高いパフォーマンスを発揮して囲碁や将棋などある職業のプロを上回るところまで来ています。人間がやってきた仕事の大半はAIがより上手に手掛けるようになります。

AI時代から心の時代へ。今、人間は選択をする時ではないでしょうか?

1.進化したAI

AIはディープラーニングで進化しました。
文字通り進化です。

地球生命がアメーバから進化した説がありますが、初期の生命は未だ目を獲得していませんでした。目という器官も機能も、地球生命の進化の中で生命が獲得したものです。

長い間、目がなかった時期があります。
目を獲得した頃から劇的に変わります。

カンブリア爆発と呼ばれている時期、その前後では地球生命の大進化は短い間に劇的に変化したと言います。その爆発は、宇宙Bigbangに因んで生命のBigbangとも呼ばれている程です。

2.目を獲得したAI

そのイメージを借りる人がいます。
AIは目を獲得した、と。
ディープラーニングによって。

実際、目を獲得してからのAIの認知能力は非常に高くなり、人間の誤認知率と変わらないか、AIの誤認知率の方が低くなっているというデータも紹介されていると聞きます。

人間の目よりも性能の良いAIの目。

特化した分野では、既に記憶力や判断力なども人間のそれを上回っている状況があり遂に、機械たちは目を手にします。

3.5感覚を獲得するAI

この延長は想像できますね。

やがては、耳を手に入れ音声認識の精度や翻訳機能が充実し、ドラえもんの翻訳こんにゃくと変わらない商品技術が完成することでしょう。また、鼻を手に入れ、舌を手に入れ、皮膚を手に入れる時が想像されます。

5感覚を手にする機械です。
関節も手にすればどうでしょう。

4.それはAIか、人間か

外観は完全に見分けがつきません。また、情報データの入出力も人間のそれとほぼ変わりません。その時、機械・ロボットのそれを本当に、人間ではないと見抜けるでしょうか?何を質問しても、人間らしい返答が返ってくるとき・・・それを人間ではないと見抜くことは至難の業かも知れません。

現に、人間にとってはそれが植物であっても、動物であっても、たまごっちであっても、aiboであっても、愛する対象に成り得るし、愛して欲しい相手に成り得ます。

5.機械の特徴。だが同時に・・・

機械の特徴を挙げます。

  1. 覚える
  2. 判断(〇×)する
  3. 繰り返す

他にもあります。
簡潔ではこのようなところ。

6.機械と同じ人間

では、人間はこれをやらないでしょうか?

もしあなたが、覚えることから初めて、〇×判断を行い、同じことを繰り返しているのであれば、それが教育ならその教育は機械が余程に上手にこなしますし、それが作業なら余程に上手にこなしますし、それがライフスタイルなら余程に上手にこなしてくれます。

このことの意味を考えたいところです。

実は人間生活は機械的であった。
そういうことです。

7.機械的な生き方

機械的な生活は全て機械がこなします。AIが目を手にしただけで、プロ棋士たちは囲碁も将棋も負けました。脳を手にした訳ではありません。未だ、目を手にしただけです。

優れた目がプロ棋士を負かします。
この先、機械的な人間は負けます。

良い悪いではありません。
効率化に走る資本主義社会ではそうなります。もっというと、社会が物質的であり機械的であるなら、その社会はAIが担います。

覚える
判断する
繰り返す

そのような文明社会はAIが余程に上手くこなしてくれます。便利だから人間は受け入れるでしょう。今までと寸分たがわず、寧ろより精密で手早く。

8.選択。ライフスタイルの変化

ですから選択のときです。

今、AIが社会に浸透していく流れを止めることはできません。そもそも、文明社会が望んでおり、1人ひとりの無意識も望んでいるからです。

ただ、1人ひとりの意識はどうでしょうか?

機械に配慮されるほどに優しければ問題ありませんが、今のところその兆しはなさそうです。何故ならば、社会と機械は別物ではなくて、機械的な生き方をしているという点で非常に似ているし、寧ろ全く同じ機能だからです。

人間が変わるときです。

機械のことは機械に。
AIのことはAIに。

任せましょう。

9.シブい質問

人間とは一体なんでしょうか?
人間を追求するときです。

人間らしい人間の生き方とは何でしょうか?
人間は今、選択を迫られているときです。

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nTech

観点の問題に気付かせてくれる数学 物理学

観点の問題を知らないままで幸せになろうとするのはナンセンスです。観点によってイメージが生まれ、かんてんによって感情や思考、そして表情、言葉、行動として表れ、その結果、人間関係や組織を作るからです。

観点の問題に気付かないということ。
それはあなた自身に気付かないのと同じ。

観点の問題に気付くことは容易ではありません。それは観点が目で見ることが出来ず認知していないからです。

認知しているものに気付きます。
問題だと思えば変化できます。

ですが、非認知だとどうでしょう?

問題だと思い難いです。
問題と思わないので変化もしません。

認知できない観点について、その存在を薄っすらとでも仄めかしてくれるのが数学であり物理学です。

物理学とは何でしょうか?

最先端の宇宙物理学に知恵を借りると分かりやすいのですが、「この宇宙(人間あるいは私)は何でできているのか」「この宇宙は(人間あるいは私)はどこから来たのか」という問いをもち、分析することを通して答えに到達しようとします。

水1滴を分けて水分子を発見します。
水分子を分けて原子を発見します。

そのように、素となる新しい粒子を発見することを通して全体像を知ろうとしています。そうしながら、素粒子を発見し、数学の対称性という概念を借りて、仮説段階ではあるがひもや膜を想定しています。

一見すると新素材の発見です。
ところが深く洞察すると違います。
実は観点が移動しています。
観点を後ろに引いていく作業。

観点を動かすから見える景色が変わる道理。
nTech令和哲学からはよく分かります。

数学の手を借りて物理学が到達している最終的な回答。今はそこまで到達しています。ただ、どのように解釈して良いのかが分からず、また実験などで確認できないために本当に信じて良いのかも分からず、更には実生活に活用できないとして、まだまだ途中段階にあると学者たちは見ています。

nTech令和哲学は明確です。
観点の問題を発見しているから。

数学と物理学が仄めかしてくれているのは、観点を移動しているという点。では、そんな観点はどこから来たのか、そして何ゆえに観点が生じるようになったのか、ということ。

数学と物理学の最終的な解答は、その先の哲学の領域へ突入するタイミングだということ。そしてその哲学とは、現代に登場する哲学であり、時代の哲学となるべき哲学であり、全ての問題を整理整頓し得る究極の問題を発見している哲学のこと。

nTech令和哲学はそこに貢献します。

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令和哲学カフェ

難解なカント。三大批判

哲学者であったとしてもカントは難解だといいます。カントを理解するには哲学の講義を半年間、継続的に学んだとしても理解できる人は少ないという実情、そして専門とする人ですら難しいと評する現状で。

令和哲学カフェはカントを推します。
難解なカントの主張に触れます。

カントと言えば・・・と問えば出てくる幾つかの項目があろうかと思いますが、その内の一つに挙がる有名なこと。

三大批判。

三大というからには3つがあるのだろう。三大というからには、普通の主義主張ではないのだろう。

そんなことを予想できるのではないでしょうか?

見ようによっては、3つだとも言えますし整理整頓されている人からしたら1つのことを目線を変えて3つとして表現しているとも言えます。

いずれにしても難解となっているのはどういうことでしょうか?

三大批判は次の3つです。

・純粋理性批判
・実践行動批判
・判断力批判

日本人にとっては批判とは穏やかならぬ表現ではありませんか?批判することで有名になったのでしょうか?批判することにどのような意味があるのでしょうか?批判は平和に導くのか、それとも争いへ誘うものでしょうか?

批判というと非難のや誹謗中傷のような悪い印象で見受ける方も多いと思いますが、カントはそのようなことをしたかったのでしょうか?何かと色々、気になることが出てくるかも知れません。

令和哲学の観点からはカントを哲学の分岐点とみており、御幣を恐れず大胆に言えば哲学が真に始まったところという勢いです。

その目線からカントは素晴らしい。
当時の悩みや苦しみを解消します。

それを巧妙な手段をとって。

批判と名付いていますが、美的センスを垣間見る批判ですので是非、そうしたセンスを磨きながらカントと出会われることをおススメします。

またカントは非常に難解。
三大批判も難しいこと極まる。

令和哲学カフェをご活用下さい。おススメします。カントのみならず西洋の主要な哲学者たちを総なめします。

昨日は感情手術を公開的にやりました。

フロイトが目をつぶって見る夢の解析なら、
令和哲学は目を開けて見る夢の解析をする。

人によっては涙が出てくるような場面もありました。令和哲学を通して西洋の哲学の理解は早まり、今の時代の哲学がどういうものが見えてきます。

zoom参加とYouTubeLiveによる同時配信。

島崎はzoomで参加することが多いです。ブレークアウトセッション機能で同じルームとなった方、いつも楽しみにしています。

ぜひお話しましょう。

今日も読んで下さってありがとうございました。宜しかったら別の記事もお読みください。

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令和哲学カフェ

カントが解決した問題一つ

カントがいた時代背景。
科学がブームでした。

ある時から宗教による整理整頓よりも科学による整理整頓の方を重要視する傾向が強くなっていきます。絶え間なく訪れる疑問に答えてくれる量は科学の方が圧倒的に多かったからです。

その影響は宗教だけに留まりません。
哲学も大きな影響を受けます。

科学万能主義。
その傾向が強くなっていた頃。

2つの主流がありました。

一つは、経験を重要視する傾向。
一つは、合理性を重視する傾向。

これらが相反するかのようにして論争することも度々あります。平和を望む人間からすると胸を痛める場面なのかも知れません。

実はカントは、この論争にも終止符を打っています。整理整頓することに成功しました。これはトンデモナイ大成功であり偉業と言えます。

あなたの周りではどうでしょうか?
ちょっと振り返ってみて下さい。

経験を重要視する傾向はこのようなものです。つまり、実験に重きを置きます。日常では体験を大事にすると言えますね。

自分が体験したことは真理になります。
体験したのだからそれが真理だ、と。

一方、合理性を重視する傾向とはこうです。数学的。体験しなくとも自然に計算結果が出ますね。体験よりも前に経験することができるし答えに到達するというものです。日常では数学的な理論とか知識を扱う人ですね。

こちらの側からすると経験を重要視する人が馬鹿に見えるかも知れません。事前に答えが分かるのに一体どうして体験しないと分からないのか?体をもって体験できないことは沢山あるじゃないか、と。

では逆に経験を重要視する人から見たら合理性を重視する人はどう見えるかと言うと、やはり馬鹿に見えるかも知れません。発展性がないじゃないか、と。数学的に、理論として、同じことばかりを繰り返して面白くないし個性がないし、進化も発展も起きずそれが人生と言えるのか、と。

お互いがお互いを馬鹿にしてみる。
平和から遠く殺伐とする向きもあります。

カントからしたら、こうした殺伐とした雰囲気や緊迫したムードを何とかしたいと思ったのかも知れません。

平和的な解決が難しそうなテーマ。
カントは哲学で突破しています。

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暗い話題が多い今の時代に

希望を語りたくなる時ですね、確かに。このような方向性喪失、リーダーシップ不在と思えるような世界の混沌ぶりと、日本国内のマスコミを中心とした暗い話題が多い今の時代ですと。ですが、本当に大切なことは希望を語ることなのでしょうか?

今日は、暗い話題が多い今の時代に触れる記事を書き綴ります。

希望そのものは大事です。
暗い話題の時にも、でしょう。

ですが、このような経験はありませんか?希望が薄れ、断たれ、やがては失望や絶望に至る。ともすれば、希望など持たぬ方が良かったのだと無気力に陥る。

希望そのものは大事です。
暗い話題の多い今にも。

ですが、御幣を恐れず大胆に表現しますが、絶望と切り離された希望などありはしませんし、絶望と直面して向き合った結果、絶望そのものと仲良くなるという過程を通過していない希望は、薄っぺらい希望であり、やがては破られるものとなるでしょう。

暗い話題が多い今の時代。
希望を見せる話があるでしょう。

ですが、絶望と切り離された希望ほど危ういものはなく、更に言えばそんな希望こそより深い絶望であり、そのような絶望が希望っぽいものへと形を変えて騙してくること自体が、恐ろしい絶望っぷりと言えるのではないでしょうか?

絶望の最中に合っても、そこと向き合えること。そこで笑えること。そこでも幸せでいれて人徳溢れていること。究極の絶望であっても、です。

そんな生き様こそ、真の希望ではないでしょうか?簡単に話にできる希望ではありませんが、絶望と共にある元気な姿として生きる希望なのだと思います。

お読み下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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理解の特異点を修めるには

溢れている情報 知識 技術はまるで海のようです。その海を泳ぐお魚こそ人間1人ひとりであり家族家庭であり企業であり地域や国家でしょう。

ですが今はこの海が荒れています。
荒れ狂う海を泳ぐことが困難。

山の遭難と違い海の遭難は大変。
方向性を得るには北極星を見ること。

荒れ狂う海では北極星を知ることが肝心かなめですが昨日の記事ではそれを理解の特異点として紹介しました。

理解の特異点は人類77億人皆んながみんな通過しなければならない一点と言えます。であれば方向性は明確に思えますが一見しては見えないもの特異点の特徴。

ガイドを必要とするでしょう。
そのガイドこそ問題点です。

様々な問題があります。

錯覚現実相対世界では必ず、その問題に対応する原因があります。ある結果には必ず原因があります。

その原因はまた別の原因の結果。
原因にもまた原因がありますね。

そのようにして、結果だと思っていたものには原因があり、その原因は実は結果であったので更にその原因があり、それもまた実は結果でありますからその原因は、、、

と探していきますと、もうこれ以上は探すことが出来ないほどの究極の原因、根本の原因と出会います。

全ての結果現象、全ての問題は、その原因から生まれてきているという究極の原因、根本の原因は、一点でしょう。

その一点が、問題点です。

問題点一つ分かれば、そこから全てが生まれて結果もしくは様々な問題へと変化していきます。

まずは問題点を明確に知ること。
問題点を知ることが解決に向かいます。

問題発見とはこのことです。

今日もお読み下さってありがとうございました。宜しかったら別の記事もお読みください。

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一光団結する企業活動の姿

もしもという話です。

もし、車業界の未来を見据えてTOYOTAとNISSANとHONDAが一光団結してより大きな枠組みで企業活動を行うとしたら、何を感じるでしょうか?

そう考えたことがあります。

もし、NTTdomocoとauとSoftBankがキャリア業界の未来を遥かに底上げするべく一光団結する新たな枠組みで企業活動を行うとしたら、どう感じますか?

想いを寄せたことはあるでしょうか?

もし、7ELEVENとLAWSONとMamilyMartがコンビニ業界の明るい未来に向けて一光団結していたら、コンビニ業界の今はどのようになっているでしょうか?

同じ業界の違う企業同士が新たな枠組みを設けることで、業界はもとより全体の底上げが一気に加速するイメージがくるかと思います。

実現可能かどうかは置いておいて、もし本当にそのようなことが起こるならば、それは希望があるか、期待できるか、どのような心境かと問われたら、おそらく大勢の人は希望を感じ期待が高鳴りワクワクしたりドキドキしたり、予想を超えた感動が待ち受けている気がするのではないかと思います。

実際はそのようなことは中々起こりません。ですが、世界が平和であり、77億人誰もが皆んな、尊厳が守られてお互いを傷つけることがない文明ができているならば、全ての業界は美しい連携連動が起こり、各業界の3社のみならず一光団結していることでしょう。

人間であればそのような未来を。
本当は経験したいハズです。

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正解は無い?ルービックキューブ

玩具「ルービックキューブ」を知っているかと思います。やったことはないまでも、見たことであれば、誰もが皆んな、経験があるのではないでしょうか?全面の色が同時に、一発で、揃う完全体へと行く道のり。

本日のテーマは、「正解は無い?ルービックキューブ」です。

誰もが皆んな、一度や二度は見たことがある玩具「ルービックキューブ」。一面の色を揃えるだけでも大変だというのに、六面の色を同時に、一発で、揃うような完全体へと向かう道のりは果てしなく遠いように思えます。

本当に正解はあるのか?
そもそも完全体なのか?

中には、シールを剥がして再度、貼り直すことで確認した方もいらっしゃるかと思います。

正解は無いのでしょうか?

はい。

ご存じの通り。
正解はあります。

玩具ではありますが、とても深い意味を見出すこともできそうですね。