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因果関係。錯覚現実相対世界

文明先進諸国に共通する深刻な問題の一つに雇用問題があります。実は、AI(人工知能)が登場するまでもなく、長い時をかけて、仕事場から人間の居場所がなくなってきています。

テクノロジーが変わりイノベーションが起こりライフスタイルが変化することで、旧き職を失ってきています。

雇用問題は大変深刻な問題です。

一方で、旧い職を失うものの新しい職が必ず生まれてくるという体験からくる経験論や、期待が見え隠れする楽観論もあります。今までもそうだったのだから、今からもそうなるという論理です。

今までの成長レベルでしたら、その通りでしょう。しかし、ディープラーニングで飛躍したAIや、今からまだまだ飛躍するAIは最早、成長レベルを通り越して進化レベルと言っても過言ではありません。

体の延長を助ける道具でした。
脳を直接助ける道具の登場です。

随分と様相が変わります。

人間を上回る知能の持ち主はゼロでした。
それが遥かに上回るのがAIたちです。

今までとは勝手が違います。

ところで、人間は錯覚現実相対世界で生きる以上は必ず、因果関係に支配されるようになります。

時間に逆らえますか?
重力に逆らえますか?
飲食せずとも生きられますか?
生老病死から自由ですか?

必ず、原因があって結果があって、その法則から抜け出ることが出来ません。数学や物理学など、科学技術も因果関係の下に成り立っています。

社会も因果関係によって成り立っています。
生きていく上では因果関係の束縛を受けます。

雇用問題も、そのような原因があって起こる結果現象。だから、錯覚現実相対世界でそんな結果現象を変えたいのであれば、原因を変化させるしかありません。

ですが、原因にはそのまた原因があり、更にそのまた原因があって、第一原因までさかのぼれるかと言いますと限りがあると思いませんか?

例えば、あなたを生まれるようにさせている原因は、父母だと思いますが、更にその父母、更にはその父母とどこまでもさかのぼるとき、あなたはそこにいますか?

また、雇用問題にしましても、ディープラーニングの技術や進化するAIなどを支えている技術の背景にある概念は、日本独自で誕生したものではなく、アメリカやイギリスなど西洋を根源として生まれたものばかりです。それは科学技術だけでなく、経済や政治や文化芸術などの尽くが西洋の恩恵を被っています。そのときの西洋にあなたはいますか?影響を与えれるでしょうか?

人間は、自分の自由なる意思が働いていると一見、思えますが、第一原因までさかのぼることには限りがあり、実に多くのことにはあなたの自由意思は働かないかに見えます。

法律は簡単に変えれません。
税金も簡単に変えれません。
雇用問題も長らく深刻です。

自由意思がそうは簡単に通らない因果関係の中で一生懸命生きること。一体どんな意味があるのでしょうか?自分よりも先に影響力をもった存在を原因として、結果現象のあなたの今があります。

前提を覆さない限りは。

それは一人では難しい世界です。だからこそ、一緒に取り組みたいと私は思っています。一緒に前提を覆しませんか?

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人間。正しく知りたいけど

令和哲学カフェでは哲学者らしい哲学者として認める偉大な哲学者カント。令和哲学カフェでは令和哲学者曰く「彼は哲学とは何かを整理した唯一の哲学者」「カントの言っていることを正しく理解している人がいない」とありますが、初めは理解できなかったことも毎日開催されている令和哲学カフェですから、よくよく理解が深まってきます。

そんな島崎は哲学者カントに尊敬の念を抱きながら、令和日本はカントの意志を継承し哲学が弱い日本でこそ逆に哲学ブームを興したいと思うようになりました。

哲学者カントの偉業は別の記事に書いてます。
ぜひ、そちらをお読みください。

カントは、人間は一体、

何を知るべきか?
何をやるべきか?
何を希望するべきか?

という人間人生の根源的な問いを放っており、カント自身がこの問いに誠実に答えようとしています。カントよりも前の哲学者、そしてカント以降の哲学者も、カントの問いかけの理解と、カントの深い洞察を正しく理解している人がほとんど居ないということで、一体どのくらいカントが深い世界のことに触れていたのか、そして伝えようとしていたのか、染み入るものです。

カントの偉大さはある重要な発見にあります。

カント前までの哲学者たちが明らかにできなかったことをカントが明らかにしたことの一つとして、人間は一体なにを知ることができるのかという問いに対して、ここまで、ここから、という線引きを引くことでした。

知ることの限界を示します。

人間は、体験しなくとも知ることはできるよということを言いつつ同時に、知る領域に限りが必ずあるよと示すことに成功したことで、それ以外の領域があるということをハッキリと示唆します。

人間は、全てを知ることができますか?

あなたは今、素粒子の動きを見たり、ひもの振動や膜の動きをとらえることが出来ますか?そうした存在を知ることも難しいですが、存在の動きや存在を成り立たせている働きなどは分からないですよね。

あなたは今、地球の活動を見たり、太陽の活動を見たり、銀河系や宇宙全体の動きを見ることができますか?天体の存在を知ることは困難ですが、天体の動きや天体そのものを成り立たせている働きなども分からないですよね。

存在の外であったり空間の外。
存在させたり空間を成り立たせているもの。

あなたがもし、ボールペンのことを知っているとしても、ボールペンを成り立たせている膨大な背景までを知っている訳ではありませんから、実は本当の意味ではボールペンを知っているとは言い難いでしょう。

実際、あなたはボールペンを創るノウハウはないでしょうし、ボールペンを創るようにさせている知識や技術の更なる背景は知らないでしょう。

このことで分かること。

正しく知っていることはありません。
全体を分かってはいません。

まさしくカントが言っている世界です。

さて、カントがいうように認識形式(観点)を持っている以上は知る範囲に必ず限界が生じるので、必ず部分を見るようになります。

このような状態にあること。
これが初期設定であること。

このことを知らないままで、そして理解しないままで、人間が幸せを追求したり、成功しようとする様をあなたはどう思いますか?

幸せになろうとしている正にその瞬間、その人間が正しく知っていることがありませんし、それまでも、それからも、ないことがその人間に働いている初期設定だということを。

果たしてそのままに放置しておいても良いのでしょうか?

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偶然の人生

人間が生きる環境は、文明社会環境から地球環境、そして宇宙空間などがあります。これらを物質的な環境で見ると、物理的な因果法則に則り決定論的な必然が隠れていると分かります。

物理の宇宙は、数学的に正確に運動する。
一方で、観察を精密にしていきますと。

必然に思えた全ての出来事は量子力学からひも理論、M理論となるにつれて、激しすぎる動きによっておこる現象であり、必ずしも全てが決定しておりません。正確に予測することが出来ません。偶然によって成り立っているように思えます。再現が出来ないんですね。

人間の意識から見たらどうでしょう。

生きていると様々な出来事があります。
その出来事は意思通りになりますか?

あなたがいる場所は大雑把に見れば地球。
そして地球があるのは太陽系ですね。
更には銀河系があって宇宙空間があります。

それぞれの存在とその存在は動いていますが、そのような存在たちの動きをあなた自身の意思で動かすことは可能ですか?

宇宙空間内の動きに対して。
あなたの意思が働かない。

それはあなたの意思と繋がった出来事とはならず、あなたが起点となって出来事を仕掛けるという言わば事件を起こそうとすることは出来ませんよね。

宇宙空間内の存在と動き。
それは偶然の産物であると。
あなたの意思も介在しません。

そして、あなた自身が体人間として生まれてきた時でさえ、あなた自身の意思は働いているのかというと、、、

あなたが誕生したときのことです。
それは必然ではなく偶然の産物。

偶然によって成り立ち、偶然の土台の上に偶然の産物としてあなたが誕生してきました。生まれてからの人生はどうなりそうですか?

偶然の人生。
偶然によって成り立ちますね。

体人間あなただけではなく、体人間であれば誰もが皆んな偶然によって成り立っています。意思をもって取り組むこと一つひとつは偶然によって成り立った結果であり、偶然に囲まれて、偶然のものとして、偶然に起こる出来事が目の前に現れてきます。

体人間あなたがどんなに一生懸命に何かをやろうとしても、それは偶然。偶然の人生。そのことにどのくらい一生懸命に取り組む意味があるというのでしょうか?

一方で。

体人間であれば偶然によって成り立ちます。
しかしnTech令和哲学の立場は違います。

nTech令和哲学が案内する本来の人間。

宇宙を1回だけ創って壊せない神よりもスゴくて更にスゴすぎる本来の人間。そうであれば必然。

全てが必然であることが明確に分かります。
その観点から体人間で生きることを見ますと。

偶然によって成り立っている体人間人生。

一生懸命生きることが一体どのくらい意味があるのでしょうか?偶然によって成り立つ世界で懸命に生きても意思が通らない偶然の結果とだけ出会う。

そこでは絶対尊厳とは言えませんね。

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誰の人生?生死は自分で…

今は全体主義の時代プレートと違いますから、王様を中心としたライフスタイルではありません。ですから、誰の人生を歩むのかと言ったときに、王様の人生を歩んでも良いですが、必ずしも王様の人生を選択しなくとも良いですよね。

体人間個人から見たら、自由です。
誰の人生を生きるのかの選択権があります。
選択肢が王様以外に増えています。

そして個人主義の時代プレートでは、必須という訳ではありませんが、その推奨される選択を体人間個人においています。

自分の人生を生きたい

その様に思うことが許されるのは全体主義の時代プレートから離れて、別の時代プレートへと進化してきたからです。では本当に自分の人生を生きていると、本当に言えるものでしょうか?

王様が自分の自由にできたのは選択肢の中から自由に選択できたことです。幅広い選択肢があって、自由に選べました。個人一人ひとりの概念は当時はなくて、王様の認識画面と如何に一致させて王様が幸せになるのかを一生懸命に考える生き方が最高とされたものです。

体人間個人が自分の人生を生きるということは、自分の認識画面を存分に選択できることでしょうし、体人間自分自身の幸せを一生懸命に考えることなのでしょう。

そして全体主義の時代プレートと違って大変に有り難いのは、王様の命令に沿って体人間自分の命を捨てなくても良いという事です。

あの時代は戦争が当たり前です。
戦争が始まれば命は王様のもの。
実は戦いでなくても、ですよね。

王様の気分一つで、罰せられて命を落とす体人間個人は沢山いました。王様と一つになるとはそういうことです。個人主義の時代プレートでは、王様に生きること、死ぬことの権利までも委ねなくても良いのです。

漫画『鬼滅の刃』における冨岡義勇の言

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

が名言だとされるのは、そうした背景も一つ大きいのでしょう。

尊厳そのもので生きる姿を感じさせてくれます。

では生きることや死ぬことを選択する権利は本当に人間に
あるのでしょうか?あなたはどうですか?

体人間あなたが、生まれてくることを選んできましたか?そして体人間あなたが、死にゆくことを選んでいますか?

父親と母親がいてあなたがいます。
あなたが選んだのでしょうか?

寿命というのがあります。
不意に突発事故が起こるかも知れません。
あなたが選んだのでしょうか?

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

あなたが握っていますか?
自分自身の生殺与奪の権を。

よく考えてみて下さい。
これは大切なことです。

生死を自分で決めることができないのであれば、それを自分の人生だと言えますか?生死を自分で決めていないことが一体どういうことなのか、整理整頓しておかなくて良いのでしょうか?

このことを放っておいて、体人間個人主義だとして一人ひとりは一生懸命に生きています。

それで人間は輝くのでしょうか?
それで人間が生き生きしますか?
それが尊厳そのものと言えますか?

こんなことを放っておくから、様々な問題は山積していくのではないでしょうか?

生死を自分で決める。
生殺与奪の権を握り切る。

あなたが、中心です。

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人間は愛したい

愛したいのに愛せない。
どのくらい苦しいでしょうか?

本来、人間は無償の愛を注ぎます。
∞の愛を投入します。
愛は与えるもの。
あげて、あげて、まだあげて、まだまだあげる。

それが愛です。

ここまで、といった限りを設けないのが愛の特徴ですし、あげればあげるほど、まだまだあげたくなるのが愛です。終わりがなく、常に膨らみえるのが愛。

ところが体人間はそうはいきません。
なぜでしょうか?

あなたはどうでしょうか?

無償の愛をもらっていますか?∞の愛をもらって、もらって、まだまだもらっていますか?断言しますが、もらっていないでしょう。無償の愛を与えて、与えて、まだまだ与える体人間が世の中に居ないからです。

∞に膨らみ続けるならば。
今も常に常に膨らんでいる。

だけど、現状は経済活動に循環はなく、政治行政は不透明で、未来には希望を感じず、少子高齢化の文明病が先進文明諸国を襲い、地球温暖化がホモサピエンスを滅種に追い込もうとしている。一体どこに無償の愛があるのだ、と首を傾げたくなるほどに。

ただ、繰り返しますが本来、人間は無償の愛を注ぐもので、∞の愛を投入します。あげて、あげて、あげまくる。

人間は愛したい。
だけど、体人間は愛せない。

愛せないのが体人間です。
なのに体人間から愛をもらおうとする。

初期設定上、無理なことですが、一生懸命に愛をもらおうとする姿も、一生懸命に愛そうとする姿も、どれくらい意味があるでしょうか?その人生はどのくらい報われるでしょうか?

初期設定を超えない限り人間は・・・

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出会い不可能。会っているようで

人間は一人では何もできません。
生まれてきた時も一人ではありません。

必ず誰かと何かをしないと生きていけないようになっています。人は必ず他の人と出会うようになっています。

本日は、出会い不可能について書きます。

実は本ブログは、5人組を創ることを目的としていますし、英雄集団日本について書き綴る意志があります。英雄集団日本であろうとして5人組を創ろうとすることと、この出会い不可能というのは実は直結している話でもあります。

実は、よくよく見ると分かることですが。

人と人とは出会っていません。
出会い不可能が初期設定です。

一体、初期設定ゆえに人間には何が起きているのでしょうか?このことを理解することはとても重要です。

人間は、認識活動をしています。
5感覚を使って、脳で情報処理しています。

5感覚のうち、大部分を占めるのは目からデータを得る視覚ですね。視覚で得たデータを脳に送り、各部署に分けて処理をして、記憶と共に再融合して認識画面を創り上げます。

出来上がったその認識画面。
それが見るという行為です。

では自分が創った認識画面と全く同じ認識画面を創る他人はいるでしょうか?以前、本ブログでも記事にしましたが、1分でも、1秒でも、同じ認識画面を見る人はいませんよね。

母親や双子の兄、それから愛する旦那さんのようにどんなに身近な存在であったとしても、それから尊敬する先生や指導者、歴史上の偉人や賢人たちであっても、自分の立ち上げた認識画面と全く同じ認識画面を立ち上げる人は一人もいませんし、1回すらありません。

5感覚脳の認識に観点を固定する。
それは同じ認識画面は創らない。

そういう意味です。

例えるなら、全く違う時空間にいるようなものです。あなたが立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の火星にいるようなものだとしましょう。そして、あなたがとても仲の良い人が立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の土星にいるようなものだとしましょう。その他の人の認識画面は、火星にも土星にもいないということになります。

会話は成立しませんよね?
本来であればそうです。

ところが、不思議なことに同じ宇宙空間を共有しているからか、まるで同じ時空間にいるかのように、会話が成立しているように錯覚しています。

本当は、同じ情報知識ではありません。
データ元が、火星/土星/その他くらい違う。

同じデータを見ているようで実は、全く別のデータから始まっています。それが各々が創り上げた認識画面であり、見るという行為です。

出会い不可能。

会っているようで会っていません。

出会っていると思う人生は何でしょうか?
その人生は意味があるでしょうか?

出会い不可能。

このことに気付くことです。
問題を発見することです。

出会い不可能を横に置いておいたまま、一生懸命に交流しようとしたり、理解してほしいと思ったり、理解してあげようとすることに、人生の意味はありません。

今ここ、出会い不可能。
今ここ、出会いを可能にするには?

観点の固定がもたらす問題に気付き、時空間の違いを超えて先ずは全く新しい人生が何であるかを知ることです。

何故、5人組を創ろうとするのか、英雄集団日本だと何故言えるのか。そこにも繋がる話です。観点固定の問題を解消する新しい人間存在として今までにない全く新しい出会いが開けてくるからです。

出会い不可能。
観点固定の人生に意味はない。

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観点固定。人生の1ページ

生きていると色々あります。調子が良かったり調子が悪かったり、人生の転機ともいうタイミングがあったり、自分という登場人物以外にも多くの人が人生には関与しています。そのような人生物語を小説で例えることがありますね。小説の佳境に入るときには人生の1ページなどと表現したりして。

本日のテーマは、「観点固定。人生の1ページ」です。

1.人生という小説のページ数

たった一つの物語ですら小説のページ数は200や400であったりします。人生は一つの物語で終わるものではありませんから、幾つもの小説が折り重なってできており、また未来が決定されている人生ではありませんし、見方によっては物語はどこまでも詳しくて具体的な描写の小説になりますから、人生という小説のページ数は有限ではありません。

人生という小説のページ数。
限りを超えた∞と言えます。

2.表現「人生の1ページ」

人生の転機と思えるタイミングのことを俯瞰した表現として、「人生の1ページ」と言われることがありませんか?

「今まさに君は人生の1ページを描いている」

などと言うかも知れません。とても素敵な表現として使われますが、なぜ素敵な表現に捉えられるかというと、今この瞬間はまだまだ未来に向けて開いており、過去からの脈絡と共に未決定であるから、選択一つひとつには意味や価値があるというニュアンスで受け取れることによって、視野が広くなったスッキリ感やわくわく感が宿るのではないでしょうか?

しかし、同じように逆のことが言えます。
そして、こちらの方が自然に起きている。

まさしく人生は∞のページとして如何様にでも小説を描くことが可能なんですが、だからこそもし、「人生の1ページのみ」が人生の全てになってしまっている人にとっては、どのような気持ちになりますか?

本来は∞のページです。
しかし実際は1ページ。

1ページしか、読むことができない小説とはどのような意味や価値があるでしょうか?その1ページのみ、反復し続けるのが人生になってしまっている場合。

3.制約。動けるのに動けない

人生は小説で例えるなら∞のページのハズです。そして本来はそのような人生であるのに、現実に生きる人間人生はそのうちのたった1ページしか見れないようになっています。

それが観点固定。

あなたが見る世界は限られた範囲に閉ざされていて、太陽系惑星の内の地球ですら、その全体像を見ることが出来ない状態ですね。

ですが、地球は関わっています。
あなたの人生に直接に。

人生を成り立たせている素材は極めてたくさんあって文字通り∞なのに、あなたが認知する範囲はそのうちの1ページ。

観点を固定しているから。
1ページだけに限定されます。

その他のページは見れません。

4.反復。より狭い領域へ

大前提が1ページです。
更に狭い範囲に絞り込みます。

1ページの中でも更に、後半部。
後半部の中でも更に、前半部。
その中でも更に2行。
極めつけは、単語「対話」。

人生のうちの極めて狭い領域に範囲を絞り、そこのことだけを見ている状態。あなたがもし、対話に一生懸命であっても、その一生懸命は∞のページからしたら、とても狭くてまた狭い領域の対話です。

文脈や文意と切り離された状態。

5.文字。誰かの物語

観点を固定している。
知らないと恐ろしいことです。

その範囲が全てだと思い込む。

小説であれば、文意や文脈があり文字を通して向こう側にある流れるイメージというものがあって、生き生きしているものですからまさしく人生そのものと言えます。自分らしく。

ところが、1ページのみに限った中で更に、単語一つに絞った人生は本当に人生と言えるでしょうか?単語一つに絞った文字は、既に人生の物語が喪失され、他の誰かの物語となってしまうでしょう。他の誰かの人生を成り立たせる素材として、その人の人生を生きる。

誰がそんな人生を送りたいというでしょうか?
恐らく誰も望まないでしょうね。あなたも。

誰がそんな人生を送っているというのでしょうか?
体人間であれば全員です。
目で見る人間であれば全員です。
ようするに、人間は誰もが皆んなです。

誰かの人生を一生懸命に生きる。
一生懸命に一体どれくらい意味がありますか?

6.誰か一人ではない

誰か特別な人に起きているという話ではありません。これは、あなたにも起きていることですが、あなたの父親も母親も、先生も上司や部下も、子どもも赤ちゃんも、100年前に生きた人も、1000年前に生きた人も、700万年前に登場した人類も、誰もが皆んなに起きていることです。

観点の固定。

1ページだけ与えられて。

根本原因を知らないまま、このまま生きていても良いと思いますか?何か重大な発見が必要ではないですか?

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今ここどう生きる?

人間であれば誰もが皆んな知りたいものです。知らなければ生存において危ないこともそうですし、生産においても劣りますし、精神活動や文明活動においても満足しません。

知ることは大事です。

とは言え、人間は知ったからこそ知っていることに束縛されてしまいます。知らなければ悩むことも苦しむことも争うこともなかったのに、知ってしまったことで生きることが難しくなります。

知らないと問題。
知っても問題。

そんな中で、一体なにを知るべきでしょうか?

令和哲学カフェでは哲学者として認めるカントに触れることがよくありますが、哲学者カントは哲学的な問いを投げています。

人間は一体、何を知るべきか、何をやるべきか、何を希望するべきか、と。多くの人が実は抱えている悩みに繋がり得る質問ですよね。

今ここどう生きるのが良いのでしょうか?

人間だったら誰もが皆んな悩み苦しくことだと思いますが、大半の場合は今ここに勝負するというよりも、過去に後悔し未来に不安するタイプの悩みで現在とは切り離されていることが多いですね。

その現在さえも今ここと断絶されています。
令和哲学では今ここを強調します。

今ここの連続が人生。
今ここをどう生きるかが人生そのもの。

令和哲学でいう今ここ。

それは時間も空間も存在もエネルギーもないところ。時間や空間や存在やエネルギーがあって、過去/現在/未来がある今ここではなく。

今ここをどう捉えるかによって。
今ここどう生きるかも変わりそうです。

今の時代にカントだったら。
どう生きたでしょうか?

あなたは、どう生きますか?

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体人間1人は何もできません

体の人間ひとりが出来ることは限られています。体人間1人ではボールペン一つを作ることもできません。自分が生まれてくることさえ1人では無理でしたよね。

人間は社会的な存在です。

必ず誰かと関わらないと生きていくことができません。誰かと関わりながらでないと生きていくことができない存在です。

とは言いましても。

誰かと関わることで生まれる問題というのも少なからずありますね。誰か、とは自分とは違う価値観の持ち主ですから、その誰かと関わる時には全く同じ価値観で居続けることができません。

必ず摩擦や衝突が起こります。

我慢するとか妥協するとか。
破壊するとか阻害するとか。

自分が抑えるか、相手が抑えるか。

誰もが皆んな、自由自在にいることが難しいものです。誰かと関わるということは、誰かの自由を削いでしまうことに繋がっています。

何というジレンマでしょうか?

社会的だから関りが必要。
関わらずには生きれません。

とはいえ誰かと関わることで自由が軽減されます。自分の自由も相手の自由も同時に、です。我慢しながら妥協しながら生きていくのが社会的な存在として生きていく道になってしまっています。

ですが、そろそろこれを終わりにさせたい。
そのように思っている人は多いのでは?

本ブログを好んで頂いているあなたもその一人ではないでしょうか?

今の時代。
特に日本は。

そろそろ終わりにさせる時が来ています。我慢や妥協で創る集団や社会ではなく、誰もが皆んな心から自由でいられる社会、自分も相手も誰の可能性も削ぐことのない事由。

実現していきましょう。

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ポストコロナon-line会議

ポストコロナon-line会議。ママナビ

令和2年10月20日。ポストコロナon-line会議といえば夜に開催されることが通例となっていましたが、この日は特別企画のような位置づけもあり、昼間の開催となりました。

妊活の重要性がテーマ。

胎内記憶第一人者の産婦人科医池川明先生。
ママナビゲーターのアインシュタイン知奈美氏。
令和哲学者のNoh Jesu氏。

この三者で、ポストコロナの新しい時代に生きる生き方について話がされた。中心テーマが妊活ということで、出産経験の観点から

女性と母親との違い
妊活時に重要視しておきたいこと

胎内記憶や出産立ち合いの観点から、

生死とは何か?
存在とは何か?

令和哲学の観点から、

母親が誕生する瞬間
アインシュタインの意志と現代必要とする愛の爆弾
博士が愛した数式の意味
天才児を生み出すのが当たり前のママとは?

などなど、多岐にわたり濃度の濃い話題が飛び交います。このような方々が集い、他では聞けない話題が飛び交う場の何と貴重で価値の高いものなんでしょうか?

しばらくはYouTubeで視聴できます。
ぜひ、ご覧になってください。

個人的には、大学の知人が出演しているのでささやかながら応援の気持ちがいつもに増しておりました。私自身が母親であるかのような心持ちで過ごせた貴重な時でした。

今日もみて下さって有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。