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真善美。哲学的な話題

真善美を聞いたことがありますでしょうか?真善美と並んだ言葉でなくても、真・善・美という一つひとつであれば、よく使う言葉かも知れません。

言葉としてよく使うものでも
概念として難しいということ

よくありますよね。

真善美を整理整頓する上でもカントを取り上げると非常に見えてくるものがあります。哲学の難解な概念はカントの理解を深めることで整理整頓しやすくなるというのが令和哲学の立ち位置です。

令和哲学者Noh Jesu先生は、理路整然としているカントの整理が大好きで唯一、カントは哲学者であると言ってよいほどカントを評価し認めています。

現代でも押さえておきたい概念。
その一つに真善美があります。

他日、令和哲学の観点から真善美について触れます。

今日も読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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カントと言えば。一つは純粋理性批判

哲学者たちの間でも難解だと言われているカント。令和哲学カフェでは、このカントの理解を深めることでその他、大勢の哲学者たちと哲学的概念の整理整頓に向かうとして重要視しています。

三大批判が有名なカント。
純粋理性批判があります。

当時の時代背景と重ねて純粋理性批判に触れるととても分かり易くなります。過去に幾つか触れた記事がありますので、宜しかったらそちらも目を通してみて下さい。

言葉として理性というのを知ってる人は多いと思いますが、カントが言うところの理性とは一体何でしょうか?そして純粋理性とは?

カントは当時、溢れている悩みや問題を解消することに大きな貢献をしましたが、三大批判をすることで解消しています。

その最も根底にあるもの。
純粋理性批判。

批判というからには批判です。
しかし悩みを解消するという。

人間的に魅力を感じます。

カント1人を理解すれば、カント以降の哲学者たちの理解と、カント以前の哲学者たちの理解も進みます。

それにはこの純粋理性批判。
これをどう読み解くか?

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難解なカント。三大批判

哲学者であったとしてもカントは難解だといいます。カントを理解するには哲学の講義を半年間、継続的に学んだとしても理解できる人は少ないという実情、そして専門とする人ですら難しいと評する現状で。

令和哲学カフェはカントを推します。
難解なカントの主張に触れます。

カントと言えば・・・と問えば出てくる幾つかの項目があろうかと思いますが、その内の一つに挙がる有名なこと。

三大批判。

三大というからには3つがあるのだろう。三大というからには、普通の主義主張ではないのだろう。

そんなことを予想できるのではないでしょうか?

見ようによっては、3つだとも言えますし整理整頓されている人からしたら1つのことを目線を変えて3つとして表現しているとも言えます。

いずれにしても難解となっているのはどういうことでしょうか?

三大批判は次の3つです。

・純粋理性批判
・実践行動批判
・判断力批判

日本人にとっては批判とは穏やかならぬ表現ではありませんか?批判することで有名になったのでしょうか?批判することにどのような意味があるのでしょうか?批判は平和に導くのか、それとも争いへ誘うものでしょうか?

批判というと非難のや誹謗中傷のような悪い印象で見受ける方も多いと思いますが、カントはそのようなことをしたかったのでしょうか?何かと色々、気になることが出てくるかも知れません。

令和哲学の観点からはカントを哲学の分岐点とみており、御幣を恐れず大胆に言えば哲学が真に始まったところという勢いです。

その目線からカントは素晴らしい。
当時の悩みや苦しみを解消します。

それを巧妙な手段をとって。

批判と名付いていますが、美的センスを垣間見る批判ですので是非、そうしたセンスを磨きながらカントと出会われることをおススメします。

またカントは非常に難解。
三大批判も難しいこと極まる。

令和哲学カフェをご活用下さい。おススメします。カントのみならず西洋の主要な哲学者たちを総なめします。

昨日は感情手術を公開的にやりました。

フロイトが目をつぶって見る夢の解析なら、
令和哲学は目を開けて見る夢の解析をする。

人によっては涙が出てくるような場面もありました。令和哲学を通して西洋の哲学の理解は早まり、今の時代の哲学がどういうものが見えてきます。

zoom参加とYouTubeLiveによる同時配信。

島崎はzoomで参加することが多いです。ブレークアウトセッション機能で同じルームとなった方、いつも楽しみにしています。

ぜひお話しましょう。

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悩み。真理を知ることはできるのか?

カントが生きた時代背景は科学万能主義の風潮がありました。カントが哲学を整理整頓する前までの哲学と言えば、2つの大きな主流があります。一つは、合理主義。一つは経験主義。お互いはともすれば対立構造になり易い関係です。

本日は、人間たちの悩みについて。

特に真理は知れるのか?カントの功績と共に書き綴りたいと思います。

結論から言えば、真理を知ることができる。そのように整理したのがカントです。とても希望溢れること。

一体どういうことでしょうか?
哲学は真理を追究するものです。

経験主義の主張は、体験したことに価値があり、真理を探すのは体験したことを蓄積することで叶うだろうというものです。

ところがどうでしょうか?

人間が生きるといっても100年ですから、この広大な宇宙そして138億年という時間の長さと比較して一体、どのくらい体験を得るというのでしょうか?

やがて悩みが出てきます。
本当に真理は知れるのか?

一方、合理主義の主張は、体験しなくとも先験的に真理を知ることはというものです。数学的な概念を用いて、同じことを繰り返し追求することで真理を得るというものです。

するとどうでしょうか?

シンプルではありますが常に同じことを確認していては多様性や広がりについては無力です。進化発展成長などが起こりません。

やがて悩みが出てきます。
それは真理と言えるのか?

経験主義も合理主義も対立しやすい傾向がありますが両者ともに、悩みがありました。

本当に真理を知れるのか?

カントはその悩みを解決しました。
どのように?

それまでの真理の基準は客観世界にありました。カントは真理の基準を主観世界にもってくることに成功します。

その結果、悩みは解消します。

真理を知ることができる。
真理の基準は主観世界にあるから。

真理の基準を主観世界にもってくるだなんて何と素晴らしい偉業をなしたのでしょう。

いつも読んで下さって有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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カントが解決した問題一つ

カントがいた時代背景。
科学がブームでした。

ある時から宗教による整理整頓よりも科学による整理整頓の方を重要視する傾向が強くなっていきます。絶え間なく訪れる疑問に答えてくれる量は科学の方が圧倒的に多かったからです。

その影響は宗教だけに留まりません。
哲学も大きな影響を受けます。

科学万能主義。
その傾向が強くなっていた頃。

2つの主流がありました。

一つは、経験を重要視する傾向。
一つは、合理性を重視する傾向。

これらが相反するかのようにして論争することも度々あります。平和を望む人間からすると胸を痛める場面なのかも知れません。

実はカントは、この論争にも終止符を打っています。整理整頓することに成功しました。これはトンデモナイ大成功であり偉業と言えます。

あなたの周りではどうでしょうか?
ちょっと振り返ってみて下さい。

経験を重要視する傾向はこのようなものです。つまり、実験に重きを置きます。日常では体験を大事にすると言えますね。

自分が体験したことは真理になります。
体験したのだからそれが真理だ、と。

一方、合理性を重視する傾向とはこうです。数学的。体験しなくとも自然に計算結果が出ますね。体験よりも前に経験することができるし答えに到達するというものです。日常では数学的な理論とか知識を扱う人ですね。

こちらの側からすると経験を重要視する人が馬鹿に見えるかも知れません。事前に答えが分かるのに一体どうして体験しないと分からないのか?体をもって体験できないことは沢山あるじゃないか、と。

では逆に経験を重要視する人から見たら合理性を重視する人はどう見えるかと言うと、やはり馬鹿に見えるかも知れません。発展性がないじゃないか、と。数学的に、理論として、同じことばかりを繰り返して面白くないし個性がないし、進化も発展も起きずそれが人生と言えるのか、と。

お互いがお互いを馬鹿にしてみる。
平和から遠く殺伐とする向きもあります。

カントからしたら、こうした殺伐とした雰囲気や緊迫したムードを何とかしたいと思ったのかも知れません。

平和的な解決が難しそうなテーマ。
カントは哲学で突破しています。

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カントの時代背景。哲学と科学

令和哲学カフェではカントを強く勧めています。彼一人を深く理解することで、全ての哲学者たちと哲学的概念の理解が早くなるし、とても分かり易くなるからです。

今日は、カントの時代背景について書き綴ります。

日本からはイメージしにくいかも知れませんが、西洋はキリスト教の影響が非常に強いです。国家よりもキリスト教の勢力の方が大きいという見方もあるくらいです。

カントが生きた時代は、絶大な勢力を誇っていたキリスト教と共に、科学に人気が出始めて科学万能主義へと向かおうとする頃でした。

キリスト教が教える宇宙自然の現象よりも科学が教える宇宙自然の現象の方が、より広い範囲で説明し、あらゆる疑問に対して答えを与えてくれるものだったからです。

科学を理解すること。
人生が変わる。
社会が変わる。

今風に捉えたらそんなところだったのかも知れませんね。既にキリスト教の魅力を上回らんとする勢いとなり、科学の中でも分野が分かれてくる頃でもありました。

またそれは、哲学と科学の関係も似たようなところがあり、科学に人気が出るに連れて徐々に哲学の立ち位置や影響は縮小していきます。

科学万能主義に向かうところです。

哲学にしても科学にしても共通にして求めるものがありました。それは真理とは何か?真実とは何か?それを知りたいということ。

ただ、本当に分かることが出来るのかどうか一抹の不安が過ります。

カントはそこに終止符を打ちました。
カントの大きな功績の一つです。

まだあります。

ちょうどこの頃、2つの主流の考え方がありました。それらがどうも対立しやすいのです。

一つは、経験を大事にする傾向。

実験して確認することで真理、真実に近づいていくというスタンスです。

もう一つは、合理性を大事にする。

経験しなくても数学的に分かるというスタンスです。先験的に真理、真実は分かると見ています。

平和であろうとしたら、この2つの主流となる考え方に整理整頓が必要でしょうし、哲学、科学、宗教の間柄も仲良くしておきたいものです。

カントはここにも大きな貢献をします。

それまでハッキリとしなかった世界を明確にしたカントは、それまでの哲学にも、その後の哲学にも、大きな影響を与えることとなります。

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西洋を代表する哲学者たち

令和哲学カフェでは令和哲学者Noh Jesu氏のガイドもあって哲学者カントをおススメしています。カント1人の理解を深めることで、カント以前であっても、カント以降であっても、哲学者たちと哲学者の概念を理解する上で非常に分かり易くなると見ているからです。

本日は、西洋を代表する哲学者たちについて触れます。

令和哲学カフェではカントをおススメしますが、カントが哲学を含む当時までの人間たちの悩みについて整理整頓することに大成功しているからです。

カントが成功した整理整頓とは?
カント以降はどのように引用したのか?

その目線で哲学を見ると非常に透明度が高くなり、難しい概念も簡単に見えてきます。

哲学者と言えば、有名なのは、

ソクラテス
プラトン
アリストテレス

ではないでしょうか?ほかにも、

デカルト

は有名ですね。そして、

カント
ヘーゲル
ニーチェ
ドゥルーズ
ヴィトゲンシュタイン

たちがいます。ほかにも、フロイトなどは現代に生きる多様な手法を生み出すキッカケとなりましたね。

そして、彼らが表現しようとしている哲学的な概念があるのですが、これを一つひとつ見ていくのが非常に難しくてとても気合がいるものです。

哲学を専門で学ぶ哲学者たちであっても、カントを理解するまでに6か月間みっちりとした講義と学習の時間を取り持つといいますから、一般人がカントを学び、それを日常生活の実践に落とし込むとなると一層、難しくなるでしょう。

それは、カントのみならず他の哲学者すべての人物に当てはまることであり、全ての概念を整理整頓するのは現実的に不可能に思えます。

ですが、その理由がありました。
なぜ、そのようになるのかの原因。

その原因理由をひもとき、そこから哲学をもう一度整理整頓したとき、カントの理解を深める一点だけで、その他の哲学者たちと、哲学的な概念がどういうものなのか、なぜ難しかったのかまでが分かります。

何て便利。
カント一押しです。

令和哲学も併せておススメします。

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哲学者カント。令和哲学カフェがおススメする理由

哲学は難しいとのイメージがありますね。それから必要なことは分かるけど現実には使えないイメージも強いですね。その理由は、哲学者自体が哲学が何なのかを整理できていないことが大きな理由だと言っています。

哲学者らしい哲学者がいない。
令和哲学カフェではそう整理します。

数少ない本物の哲学者としておススメしているのがカントです。カントを理解することで、カントよりも前の哲学も、カントより後に登場する哲学も、非常に分かり易くなるというものです。

哲学における一点。
カントこそ、その人でしょう。

錯覚現実相対世界では、如何なる現象にも原因がありますね。多くの哲学者たちがいて、多くの哲学的な概念があるように思えるものでも、原因を深く洞察することで究極の原因へと到達し得るものです。

そこから見たら、複雑に絡み合っているように見えるものでも案外シンプルだったりします。

カント1人を理解すること。

たったそれだけで、カントより以前、そしてカントよりも以降の理解も格段に進む。

カントに触れること。
とても大きな恩恵を被るでしょう。

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