帯に書かれた文字。脳vs心

心感覚読書会03~W@仕様~ #1

やりました。
心感覚読書会。

通算では3回目となる読書会。
この度はW@仕様の第1回です。

島崎にこんな感想がありました。
心感覚を読んでみて・・・

  • モヤモヤしてる
  • 素朴な問いがでてきた
  • 深めたい

とのこと。そして

  • 心感覚、オールゼロ化感覚を(疑似)体験してみたい・・・
  • まずは、脳で理解(脳に正しい絶望をさせる)することが先?
  • 心感覚を読みました。その感覚は読書会では得れる?主催者はこの感覚を得てる?
  • 会社で社員教育、研修の企画をしてみたい。読書会では何か掴める?

のような疑問や要望がありましたので、難解なところもありながらのチャレンジで臨む開催です。

zoomで1時間。
テーマを絞って取り組みました。

整理がてら振り返ってみたいと思います。

1.選択肢。可能・不可能を超えている?

あなたにはこのような経験はありませんか?「できますか?」と尋ねられたときに、あなたは答える立場にあります。

「できる」と言った場合。

できると言ったら問題が残る場合があります。必ずしもできるとは言えないケースであればできるとは言わない方が良いでしょう。

「できない」と言った場合。

できないと言ったらそれもまた問題です。できない訳ではないから、できないと言ってしまうのは正しくありません。できないとは言わない方が良いでしょう。

「できる」と言っても正確さに欠けるし問題を残してしまい、「できない」と言っても違うことになってしまう場合、一体それを何と言えば良いでしょうか?

問われているのは「できますか?」です。
これに対して、どう応えるか?

人間を試される一つの場面ではないでしょうか?

2.zoom越し。コミュニケーションは?

オンラインによる読書会を企画したことはありませんでした。チャレンジという意味では、開催のスタイルから始まっていました。

対面としてその場に本を持ち寄っての読書会はとてもイメージがつきます。その場で本を開いて直接に本を見せ合うのですから、本を通した交流は生まれやすいものです。

本を持っていない人にとっても、本を持っている人が見せてあげれば良いでしょうし、ページをめくっている間の趣きも伝わり得る何かがあるでしょう。

ですがzoom越しとなればどうでしょう?

コミュニケーションが図れることは分かっていました。読書会としてのコミュニケーションは一体どこまで成り立ち得るのだろうか?

そんな懸念は多少ありました。

ただ身近でも心感覚読書会が開催され、知らないところでも開催されてくると、成り立つものなんだろうとの期待感もあり、やってみると意外にも・・・

できてしまうものですね!

一旦始めてしまうと工夫が起こり出すので、始めてしまうのも一興だと、やってしまうことの良さを強く感じました。

zoom越し。
問題ないです。

3.創りたい。5人組

心感覚読書会は良き道具です。
良好なプラットフォーム。

この場を通して想いを強くしました。やはり創りたいと思うのです。5人組を。

歴史を振り返れば、人間共通の悩みは良好な関係を築くことや生産性の高い組織を創ることにありました。

ですが本当の意味で、良き関係と美しい組織は創れたと言えるでしょうか?周りを見渡してみても、ネットの中を探してみても、この関係をモデルにしたい、この組織をモデルにしたいという今の時代にピッタリのモデルは生まれているでしょうか?

実情はこうでしょう。

その関係も組織も、条件付けのものに過ぎません。ある条件のときにだけ成り立っている条件付き、制限付きという限界を前提としたもの。

条件の外には通用しません。
ところが条件外の方が多い。

未だに世界には、戦争紛争の類があり、食糧危機と飢餓貧困、それから地球環境破壊で人間が2050年に住めなくなる可能性が高い問題があるなど、問題を挙げたらキリがありません。

モデルがないという意味です。
だからこそ、モデルに渇望がある。

そのモデルこそ5人組。
認識方式がまるで変わる。

人類歴史が5人組を渇望している。
これを創りたいと改めて思いました。

心感覚読書会
心感覚読書会。良い場でした

以上、
整理がてら振り返りました。

心感覚読書会。
またやります。

読んで下さってありがとうございました。宜しかったら別の記事をお読みください。


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