何か事件が勃発したとしましょう。その事件が大事件であれば、多くの人の目に触れることになるでしょうが、大事件に際して、自分自身の存在の影響はどのくらいあるでしょうか?
例えば、新型コロナウイルスが世界を揺るがしました。その影響力たるや尋常ではありません。歴史上を振り返りましても稀に見る大打撃を全世界に与えています。
そんな中で、あなた個人の影響力はどのくらいの大きさでしょうか?このように問われたあなたはどのように答えますか?
大事件に際して自分自身の存在の影響を、大きく見積もるよりも小さく見積もる人間の方が多いと直感的にあなたは知るでしょう。
ですが、深く洞察してみましょう。
本当に、そうなのでしょうか?
大事件は、実は幾つかの中事件が集まって生まれているものです。何の背景や原因が無い状態で大事件は勃発しません。
同様に次のことが言えます。
中事件は、実は幾つかの小事件が集まって生まれているでしょう。背景や原因があるからこそ、中事件として生まれるに至っています。
では、小事件も同じことが言えそうですね。
その小事件が、自分とかけ離れていれば、その延長で中事件や大事件も当然、自分自身からかけ離れるでしょう。
大事件に際してあなたの影響が小さい。
それは、小事件に関与しなかった。
そういうことでしょう。
日常のほんの些細なことであっても、ただの事物で見るのか事件で見るのかは大きな違いです。あなたが、どんなことにでも事件で見る目を持っていれば、あなたは事件を起こすことができます。
事件を認識する目。
それは体の目ではありません。
令和哲学の初歩。
今ここ目で見ちゃダメ。
いつも目で見ることを繰り返して日常を送っていれば、その日常は事件を起こすことになりません。全てが事物として自分とは分離して存在し、その存在に影響を与えることがありません。
日常で何を繰り返しているのか?
見ること、が一つ大きく占めますね。
令和哲学。
今ここ目で見ちゃダメ!
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