愛したいのに愛せない。
どのくらい苦しいでしょうか?
本来、人間は無償の愛を注ぎます。
∞の愛を投入します。
愛は与えるもの。
あげて、あげて、まだあげて、まだまだあげる。
それが愛です。
ここまで、といった限りを設けないのが愛の特徴ですし、あげればあげるほど、まだまだあげたくなるのが愛です。終わりがなく、常に膨らみえるのが愛。
ところが体人間はそうはいきません。
なぜでしょうか?
あなたはどうでしょうか?
無償の愛をもらっていますか?∞の愛をもらって、もらって、まだまだもらっていますか?断言しますが、もらっていないでしょう。無償の愛を与えて、与えて、まだまだ与える体人間が世の中に居ないからです。
∞に膨らみ続けるならば。
今も常に常に膨らんでいる。
だけど、現状は経済活動に循環はなく、政治行政は不透明で、未来には希望を感じず、少子高齢化の文明病が先進文明諸国を襲い、地球温暖化がホモサピエンスを滅種に追い込もうとしている。一体どこに無償の愛があるのだ、と首を傾げたくなるほどに。
ただ、繰り返しますが本来、人間は無償の愛を注ぐもので、∞の愛を投入します。あげて、あげて、あげまくる。
人間は愛したい。
だけど、体人間は愛せない。
愛せないのが体人間です。
なのに体人間から愛をもらおうとする。
初期設定上、無理なことですが、一生懸命に愛をもらおうとする姿も、一生懸命に愛そうとする姿も、どれくらい意味があるでしょうか?その人生はどのくらい報われるでしょうか?
初期設定を超えない限り人間は・・・
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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