人類が誕生してから700万年とも言われていますが、その700万年もの間ずっと繰り返していることが何だか分かりますか?その繰り返していることに気付き、そのパラダイムに変化を与えたなら人類史上の大事件を起こすことができます。
繰り返してきたこととは何でしょうか?
1.未発見だった観点。1996年までずっと
結論から言えば、観点の非認知。
観点が未発見であったことです。
1996年に観点が発見されるまで人類は700万年もの間ずっと観点が未発見であり、観点を認知していませんでした。
確かに言葉はあります。
ですが、観点が指し示している実体としての観点をハッキリと見た人がいません。本記事では観点の非認知のうち、人間の観点に迫ろうと思います。
2.質問。答えてみて下さい
地球上には多種多様な生命がありますね。
その中には耳を持たない生命がいます。
そして目を持たない生命もいます。
耳を持たない生命にとって人間界が奏でるオーケストラの世界は存在するでしょうか?フルートやサックスが奏でる世界は存在しそうですか?
耳を持たない生命になってみて下さい。
その世界をどう表現しますか?
同じように目を持たない生命はどうでしょうか?人間が描いた絵をどのように捉えるのでしょうか?絵という世界は存在しそうでしょうか?
目を持たない生命になってみて下さい。
その世界をどう表現しますか?
3.人間5感覚脳の認識が世界を
人間は、人間の5感覚脳の認識によって世界を見ています。目は、可視光線という限られた波長の電磁波だけを感知して電気信号化して脳に伝送されます。その後、記憶と照合して現実に最も都合の良い映像としてアウトプットします。このアウトプット画面までの一連の作業を見ると言っています。
富士山を描くときに、富士山をあのように描くことが出来るのは人間の5感覚脳の認識だからこそです。
あなたは犬の目に映る富士山は、人間のアウトプット画面と同じ富士山だと強く言い切れるでしょうか?
明確には言えないでしょう?
4.人間5感覚脳の認識とは違う認識
犬には犬の目があり、犬の脳があり、人間の情報処理とは違うので人間のそれとは違うアウトプット画面を出力していそうです。
犬に目があるように、ヘビにも目があります。他にも、カエルにも目がありますし、魚にも目があります。富士山の絵を描かせるならばやはり、人間のそれとは全く違うアウトプット画面として描くのではないでしょうか?
全く違う絵として描かれた富士山。
富士山は、富士山です。
富士山が富士山としてそこにある可能性は沢山あるにも関わらず、私たちが富士山を描くなら必ずあのような富士山を思い描いてしまうのは、人間の5感覚脳の認識があるからです。
これを観点と言っています。
5.人間には人間の観点が
人間以外にも観点はあるという話に続きます。
犬には犬の5感覚があり犬の脳があり、犬の5感覚脳の認識が働いています。
犬の観点ですね。
そのように、ヘビにもヘビの観点があります。蛙には蛙の観点、魚には魚の観点があります。同じ富士山を見てもまるで違う絵を描くのは観点が違うからです。
更に柔らかく見ています。
6.人間5感覚脳の認識以外の観点
目がない生命も地球上には沢山います。4感覚の生命がいたとして、やはり観点はありそうですね。同様に3感覚や1感覚はどうでしょうか?そんな生命たちも地球上には沢山います。
そうした存在にも観点があります。
その観点から描く絵はまた違う。
更に柔らかく見ていきます。
7.観点は沢山。どこにでも
人間からみて0感覚と思えるような存在は居そうですか?居そうですよね。0感覚ながら観点があります。
人間だけが観点を持ち、人間だけが世界を認識し、人間が見てる世界だけが絶対に固定された世界とはとても言えませんね。
水にも観点があり、光にも観点があります。
そのことを人間は知りません。
人間にすら観点があると知りませんでした。
8.大発見。観点を知らないことは問題
私もnTech創始者のNoh Jesu氏に出会わなければ観点のことなんて全く意識の外です。絶対に自分の見てる世界が正しいと固く信じ込んでおり、観点を知らないから他の人の観点も尊重できませんでした。
人間は観点に対してずっと非認知でした。
だからこそ起きてきた問題があります。
1996年に発見された観点。
これは大発見です。
文字通り人類初の偉大な大発見です。
島崎もまた観点をようやく発見しました。
故に島崎は言います。
人類文明は大きく変わります。
読んで下さって有り難うございました。宜しかったら別の記事もお読みください。
コメントを残す