観点の問題を知らないままで幸せになろうとするのはナンセンスです。観点によってイメージが生まれ、かんてんによって感情や思考、そして表情、言葉、行動として表れ、その結果、人間関係や組織を作るからです。
観点の問題に気付かないということ。
それはあなた自身に気付かないのと同じ。
観点の問題に気付くことは容易ではありません。それは観点が目で見ることが出来ず認知していないからです。
認知しているものに気付きます。
問題だと思えば変化できます。
ですが、非認知だとどうでしょう?
問題だと思い難いです。
問題と思わないので変化もしません。
認知できない観点について、その存在を薄っすらとでも仄めかしてくれるのが数学であり物理学です。
物理学とは何でしょうか?
最先端の宇宙物理学に知恵を借りると分かりやすいのですが、「この宇宙(人間あるいは私)は何でできているのか」「この宇宙は(人間あるいは私)はどこから来たのか」という問いをもち、分析することを通して答えに到達しようとします。
水1滴を分けて水分子を発見します。
水分子を分けて原子を発見します。
そのように、素となる新しい粒子を発見することを通して全体像を知ろうとしています。そうしながら、素粒子を発見し、数学の対称性という概念を借りて、仮説段階ではあるがひもや膜を想定しています。
一見すると新素材の発見です。
ところが深く洞察すると違います。
実は観点が移動しています。
観点を後ろに引いていく作業。
観点を動かすから見える景色が変わる道理。
nTech令和哲学からはよく分かります。
数学の手を借りて物理学が到達している最終的な回答。今はそこまで到達しています。ただ、どのように解釈して良いのかが分からず、また実験などで確認できないために本当に信じて良いのかも分からず、更には実生活に活用できないとして、まだまだ途中段階にあると学者たちは見ています。
nTech令和哲学は明確です。
観点の問題を発見しているから。
数学と物理学が仄めかしてくれているのは、観点を移動しているという点。では、そんな観点はどこから来たのか、そして何ゆえに観点が生じるようになったのか、ということ。
数学と物理学の最終的な解答は、その先の哲学の領域へ突入するタイミングだということ。そしてその哲学とは、現代に登場する哲学であり、時代の哲学となるべき哲学であり、全ての問題を整理整頓し得る究極の問題を発見している哲学のこと。
nTech令和哲学はそこに貢献します。
読んで下さってありがとうございました。宜しかったら別の記事もお読みください。
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