人間であれば誰もが皆んな知りたいものです。知らなければ生存において危ないこともそうですし、生産においても劣りますし、精神活動や文明活動においても満足しません。
知ることは大事です。
とは言え、人間は知ったからこそ知っていることに束縛されてしまいます。知らなければ悩むことも苦しむことも争うこともなかったのに、知ってしまったことで生きることが難しくなります。
知らないと問題。
知っても問題。
そんな中で、一体なにを知るべきでしょうか?
令和哲学カフェでは哲学者として認めるカントに触れることがよくありますが、哲学者カントは哲学的な問いを投げています。
人間は一体、何を知るべきか、何をやるべきか、何を希望するべきか、と。多くの人が実は抱えている悩みに繋がり得る質問ですよね。
今ここどう生きるのが良いのでしょうか?
人間だったら誰もが皆んな悩み苦しくことだと思いますが、大半の場合は今ここに勝負するというよりも、過去に後悔し未来に不安するタイプの悩みで現在とは切り離されていることが多いですね。
その現在さえも今ここと断絶されています。
令和哲学では今ここを強調します。
今ここの連続が人生。
今ここをどう生きるかが人生そのもの。
令和哲学でいう今ここ。
それは時間も空間も存在もエネルギーもないところ。時間や空間や存在やエネルギーがあって、過去/現在/未来がある今ここではなく。
今ここをどう捉えるかによって。
今ここどう生きるかも変わりそうです。
今の時代にカントだったら。
どう生きたでしょうか?
あなたは、どう生きますか?
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
コメントを残す