啓蒙活動のイメージ

啓蒙の必要性

西洋では盛んに啓蒙活動が行われたこともあり、東洋の国々と比べたら形成される勢力に格差が生まれますし、文明にも圧倒的な格差が生まれました。啓蒙活動は主に、自分の置き所はこの体だという個人主義に基づいたものです。

本日のテーマは、「啓蒙の必要性」です。

1.時代背景。全体主義から個人主義へ

農業社会の頃は全体主義でした。
やがて産業社会へと変わります。

このとき、全体主義に対して個人主義へと変化していきますが、その変化が起こる一つのキッカケが啓蒙活動でした。

時代の変わり目は劇的な変化です。
ライフスタイルがまるで変わる。

旧いライフスタイルはストップしてこそ、新しいライフスタイルへと移動できます。劇的な変化が起きる最中では、全体主義を成り立たせている概念が壊れていくプロセスがあります。

全体主義とは何でしょうか?

一人ひとりは今のように引っ越しの自由も結婚の自由も認められていません。全て王様の許可がないといけません。王様と如何に一つになれるのか、それが全体主義です。自分とは一体何でしょうか、との質問があれば、王様を中心とした国家全体だと答えるかも知れません。

それをストップさせてこそ次の時代です。
次の時代とは個人主義ですね。

2.教育。自分とは何か?

自分のことを考えるならば、全体主義のときはそれは王様を指します。自分の幸せや成功を考えるとき、それは王様の幸せや成功を考えるのと同じ意味です。そして、結果的にそれは国家全体が幸せであり成功していると考えていますね。

そんな全体主義が終わります。
そして個人主義が始まります。

では直ぐにでも新しい時代を始められるものでしょうか?フランスで市民革命を起こした人たちが、全く新しいライフスタイルを提案しても、大勢の人たちはまだ、幸せや成功は王様と一つになることであり、国家全体を考える状態です。

王様は確かに権威を失いましたが。
それは自分の権威を失うようなもの。

王様のために生きてきた今までが根強く残っているものですから、自分のためといっても直ぐには始められません。

そこで教育が必要となります。

王様が自分ではないという教育。
王様ではない自分とは何者なのか。

個人主義が始まった頃は、自分とは王様ではないことを学び、また教え、同時に全く新しい自分という概念を学び教えることが盛んでした。

それが啓蒙活動です。
自分とは体人間のことだと。

神の下で平等なのだから、体人間一人ひとりが幸せになり成功する権利を手にしているのだと。

3.観点の問題。海とお魚

啓蒙は必要なことでした。

もし啓蒙がなされず教育が行われなければ、せっかく全体主義から個人主義へと移り変わる事件が起きたものの、旧い秩序が完全にストップしないまま、新しい秩序がスタートすることが極めて難しくなっていたでしょう。

その結果、以前の全体主義よりも強固な全体主義へと逆戻りしていたかも知れません。現代にもまだ独裁国家が残り、激しい戦争をしているかも知れません。

全体主義から個人主義へと移り変わる観点から見て、啓蒙活動や自分を体人間だと教育することはとても素晴らしいものがあります。

しかし、その観点が永続するでしょうか?
個人主義が浸透した頃も必要でしょうか?

全体主義を離れる上では必要不可欠な啓蒙活動または自分=体人間を教育することであっても、あくまでも全体主義を離れる前提での話。

もはや時代プレートが個人主義へ移ったならば。更には、個人主義においてもマンネリが起こり、全体主義から離れる必要性があった頃のように、個人主義から離れる必要性が生じている今でしたら。

自分=体人間を教育することは間違っています。

そして実際、行き過ぎた個人主義は個人主義の秩序さえも自らが破壊してしまうかのような無秩序へと突っ切り、AIが体人間を代行し、チップが体人間に入り、体人間がチップになろうとする今から。

自分=体人間を教育すれば未来がありません。

4.心人間。令和日本が行く道

自分とは何か?

これに対する理解が足りないから、旧い教育をやり続けているのだと思います。同時に、今はもう新しい教育が必要なときに来ていることも見えていないのだと思います。

個人主義を離れて次の時代プレートへ。

歴史上でも初めてのこと。
世界中で他に誰も言わないこと。

それを令和哲学者が言っています。

自分とは何か?

これに対する理解を補う必要性をずっと、日本で25年以上も言い続けています。令和よりも前から令和のライフスタイル。令和の幟が立ってからは令和哲学者としてより一層。

心人間として。

令和日本が行く全く新しい道を教えてくれています。そして令和日本が世界に教えていかなくてはならない新時代を創る次元の違った啓蒙活動について。

令和日本にしかできない仕事。

5.恒久世界平和。世界基軸教育

恒久世界平和の実現。
その資格があるとすれば令和日本。

その根拠に是非触れてみて下さい。日本をこよなく愛するNoh Jesu氏と出会うと明確になります。スッキリします。わくわくします。

かつては、観点の問題を超えることができなかった教育水準だったために啓蒙活動には限界があり、世界平和は観念で終わりますが、令和日本には世界基軸教育として魅力的な候補が誕生しています。

全人類が共有できる内容。
誰もNoが言えない内容。

そんなことがあるのか。
あればよいが現実は。

そうですね。

真実と錯覚現実の関係について誤解があるから、そのように思うのでしょう。理想だが現実には無理だろう、と。しかし、真実と錯覚現実の関係について理解を深めることで、スッキリ通ることを確認し、わくわくすることでしょう。

世界基軸教育が必要なとき。
令和日本には候補があります。

6.答え。あります

自分=体人間

その観点でしたら、真実と錯覚現実の関係性を明確に理解できる答えはないだろうと思うのは全くその通りだと思います。しかし、

自分≠体人間

の観点でしたら、答えはないという主義主張は間違っているかも知れませんね。そして、心人間と出会うことで、明確になる世界があります。

答えはあります。
あなたも出会ってください。

読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。


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