無知。知識や知恵をもたない状態は怖いものです。人間は無知でいることを良くないことだとして、知識や知恵を得て少しでも知に触れていたいとする存在。人類は今、知を追い求めてどこまできたのでしょうか?
本日のテーマは、「宗教は収まり完全学問へ」です。
1.知の完全性のワナと知の不完全性
何ごともその本質を見るなら出発点。
人類の出発点といえば原始人です。
原始人に想いを寄せてみます。
1.1.恐ろしい無知
地球自然環境には砂漠や森や平原、それから川や海などがあります。そして突如にして訪れる地震や雷や火災、他にも洪水が起こります。
自然環境の変化は厳しい。
そんな中、動物もいます。
ライオンやトラがお腹を空かせていると原始人は食べ物にされます。他にも、毒をもつ蛇や蠍などがいます。
無知とは恐ろしいもの。
厳しい地球自然環境に獰猛な動物たちに囲まれ、比較すると力のない非力な原始人たちは生存競争を生き残れません。
無知ゆえに原始人は命を落としました。
森には森の生き方があり、
砂漠では砂漠の生き方がある。
恐ろしいのは自然の脅威でも動物の猛威でもなく、自らの無知だと、原始人はあるとき気付きます。
そこで知を手にします。
1.2.知の偉大さ
私たちホモサピエンスが文明を築くよりも遥かに前の時代、言語を開発しました。後に、”私たちは動物とは違う”と宣言するに至るほどの大きな変貌を遂げていきます。
言語は知をもたらしました。
主語S+述語VによるSV言語。
ライオンにはライオンの動き、
蛇には蛇の動き、
動物にはその動物らしい動きがあるとパターンを認識するようになります。SV言語でパターン認識し、SV言語で共有でき、SV言語で動物に影響を発揮できるようになっていきます。
エサをもうける
ワナをしかける
などして、動物の猛威はやがてなくなり、同時に自然の脅威もなくなっていきます。
無知だから命を落とした。
知は生存競争に勝利をもたらした。
より良い知であれば、生存のみに留まらず、狩猟採集に加えて農業を営み食糧を蓄積するなど生産活動も行えることを知ります。
より良い知。
最善なる知。
こうして原始人たちは知の完全性を追い求めるようになります。
1.3.落とし穴。知の完全性のワナ
最善なる知は最早、死の恐怖さえ超えることができました。原始人たちはやがて生死の不安恐怖に打ち勝つ概念を言語化しました。
神です。
宗教の誕生です。
狩猟採集にしても農業にしても、如何に多くの人数が協力できるのかによって、その生産量が高くなっていました。
協力を阻止するものが不安恐怖。
引いては無知です。
ゆえに、知の完全性は最高の生産性をもたらしてくれました。原始人と原始人とがお互いに協力しえる方向へと上手に、導いてくれました。
色々ありながらもうまくいきました。
原始人の文明は発展していきます。
ところが大事件が起こります。
土台が覆ります。
天動説が主流であったところから、
地動説へと主流が移行しました。
知の完全性を追い求めてきた原始人。
ところが知の完全性には落とし穴がありました。そして知に完全性を追い求めることにはワナがありました。
原始人は未だそこまでは。
気付きが成熟していませんでした。
1.4.知の不完全性
完全性を追い求めてきた知でしたが、それが不完全性であったと思う現象が沢山発見されます。
“地球は宇宙の中心だ”→”宇宙の周辺 銀河の端っこ”
“人間は神の息子 娘だ”→”人間は猿から進化”
“人間は理性がある”→”無意識下で動物と同じ”
“人間は機械ではない”→”ホモデウス一流、AIが二流、人間は三流機械”
などなど、数学や科学技術など西洋に端を発した学問を土台にしてこれは絶対にそうだろうと思われる絶対知なるものは、尽く覆っていきます。
あなたも思っていませんか?
“知っていることは必ずしも…”
“私の知っていることよりも遥かに…”
このようなこと。
知の不完全性です。
2.無知の完全性
率直に尋ねます。
完全が良いですか?不完全が良いですか?
今までの知識が邪魔をして、きっと多くの人は不完全が良いと言うでしょう。日本では特に、完全や絶対というものに嫌悪し、不完全や未熟なものを愛する傾向があり、そちらの方が人間的だと思えているからでしょう。
一理あります。
理解もできます。
しかし、それもまた不完全性から来る考えの1つかも知れません。実は日本人こそ、完全であることをよく分かり、絶対にとても相性の良い文明に浸ってきました。
詳しくは他の記事に譲ります。
本当のところ、人間はどうなんでしょうか?心の奥底で望むことは完全ではないでしょうか?
結論から言えば、人間は完全完璧。
本当のところ、知の不完全性に浸りきっている今は、最も完全性であろうとする意欲に満ちています。
ですが、知は不完全性。
それ故に、2050年には人類滅亡するとも言われ、2022年時点でも五大危機に瀕しています。
放っておけば人類滅亡。
原始人たちは居なくなります。
本当に知の不完全性のままに留まって良いものでしょうか?実は完全完璧な人間であるのに、そのようなところに留まっても良いものでしょうか。
今、完全性が最も欲しいとき。
3.完全学問の登場
いつまでも原始人でいられません。
難局を乗り越えるシン人類誕生のとき。
そこに登場したのが完全学問。
令和哲学者Noh Jesu氏をキッカケとして、問題意識ある日本人たちとの間で体系立てられました。
知の不完全性。
その通りです。
完全性はどこに?
完全性は知にあるのではなく、、、無知にこそ。この無知の完全性に到達することで人間は完全完璧となります。
西洋の学問は、知の不完全性。
ここに留まったから不完全学問。
育つ人間はイマイチです。
イマイチな人間は当然、多様な問題を生み出し、生み出しておきながらその問題を解決できません。原始人のときに開発したSV言語をずっと使い続けている点を見ても、原始人とはそんなに変わっていません。
シン人類誕生。
完全完璧な人間たちが生み出す新しい共同体をもって確認することでしょう。
それが本来。
教育の役割です。
ぜひこちらを見てみて下さい。
Noh Jesu氏による完全学問の可能性と、そこから見た人類歴史の整理が、ダイナミックな観点から端的に行われています。
なぜ、宗教に困っているのか?
なぜ、学問で突破できないのか?
4.教育。学問によって
教育とは何でしょうか?
人間を育てる活動です。
何によって教育したのでしょうか?
原始人たちが初めに使ったもの。
それが宗教です。
一見すると宗教は完全性をもたらしてくれました。2022年の今でも、世界では宗教によって人間形成や人格形成を行い、精神性を養う良き道具として捉えているようです。
歴史的には宗教は破れました。
地動説が主流となったとき。
数学や科学技術など、西洋に端を発する不完全学問によって、宗教ではなし得なかった人間教育を見事に努めました。
ですが、不完全学問です。
本当のところ、限界がありました。
宗教の良さや役割を完璧に超えることに失敗しています。即ち、無知の問題、知の問題を超えることができず、知の完全性のワナへと逆戻りさせてしまうし、前進しても知の不完全性に留まり、これを行ったり来たり繰り返しさせることしかできませんでした。
無知の完全性
ここに案内することに失敗しているのが宗教であり、同時に不完全学問でしたから、人間教育は失敗し、2022年時点で五大危機に瀕し、2050年には滅亡に向かう現状です。
原始人とそう変わらない誕生。
完全学問による教育の完成。
今からはシン人類が誕生します。
5.完全学問が創る共同体
シン人類が誕生したら今までにない全く新しい共同体を作ります。無知の完全性が当たり前のシン人類ですから、原始人たちが創った共同体とは全く違うし、原始人たちが生みだした問題は全て、解消して解決していきます。
新しい共同体。
宗教も、不完全学問も、これを創ることができませんでした。無知の完全性が当たり前だから、知の不完全性を終わりなき補い続け、AIとも共に共同体を創造できる。
完全学問が創る共同体。
令和日本から誕生します。
宗教の役割は完全に終わりました。
今から完全に収束していきます。
学問の役割は新たに進化していきます。
完全学問の躍進にご注目ください。
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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