何ゆえにそのように言うのでしょう。
根拠なしにタイトルを付けません。
ずばり、仏教とキリスト教を融合することができる原理を発見したのが令和哲学者Noh Jesu氏。
それ故に、です。
仏教もキリスト今日も、宗教というジャンルに属しますが出発点となる人物がいます。
仏教であれば釈迦。
キリスト教であればJesus。
どちらも真実に到達した存在。
釈迦は2500年前に悟りを得て、その後に弟子たちが仏教として教えを広めています。そしてJesusは2000年前に神の子として真実を語り、その後に弟子たちがキリスト教として教えを広めています。
哀しいかな両者は和解していません。
争いは酷くはありませんが不仲です。
真実を悟り知った出発点でありながら、そして救済する存在として十分な資格がありながら一体どうして、後世に彼らを信仰する人たちは不仲なのでしょう?
それは、出発点の次。
弟子たちが真実に到達していないから。
彼らは錯覚現実の内におりました。
先生と同じ境地ではありません。
nTechからしたら当然です。
1分1秒も他人の認識画面は共有されない。
弟子たちは救世主にはなれませんでした。それ故に、その後に続く後世の人たちはお互いに不仲です。未だに、仏教はキリスト教との融合を図れず、またキリスト教も仏教との融合を図れません。
そんなことを可能にする原理。
それは確かにありそうですよね。
何せ真実は確実に真実。
真実に基づく原理は必ずあります。
Noh Jesu氏。彼が発見しました。
これ、どのくらいの偉業でしょうか。
世界中で、歴史を経て、涙する世界。
日本から興りますよ。
ルネサンス。ネクストルネサンス。
ぜひ確認してみて下さい。
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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