令和哲学者Noh Jesu氏による絶望シミュレーションワークショップに参加してきました。
最初から貴重な内容。
世界的知性のユバル・ノア・ハラリ氏によるサピエンス全史とホモデウスの内容を引用して、人類歴史がどういう脈絡をもって今現在にまで至っているのかを整理しました。
これだけでも大層価値が高い。
世界的にヒットした著者ですが、内容は非常に難解で、一体何を書いているのか分からない人も大勢いると聞きます。
キーワードに沿って整理していました。
とても分かりやすいものでした。
特に印象的であったのは、虚構。
ホモサピエンスの繁栄には虚構があったと。
まさしく現代に同じことが言えます。
nTechとも非常に相性の良い言葉。
そこから絶望を語るワークショップがあります。3分間の時間で、78億人にとって如何に絶望であるのかを訴えるトークバトル。トーナメント式で勝ち上がってくるというもの。
勝ち負けも話し合いで決めるという。
公開的な基準がなく独特な決め方。
それにしても絶望とは何でしょう?
理解するという観点から絶望を整理している人は世界にどのくらいいるでしょうか?理解とはスゴイもので、理解できてしまったら、必ず前進が起こりますから、絶望を理解するの意味は絶望を撲滅するという意味でもあります。
それも正しい絶望であり、究極の絶望。
そんなことの理解を済ませてしまうという。
体人間としての体験経験からくる絶望は正しい絶望でもなければ究極の絶望でもない。特に、体人間として体験経験するまでの前段階に関する関心を寄せていないことは大変に致命的であるというガイドには頷きました。
どういうことか?
自分の見てる認識画面と全く同じ認識画面を見ている人は一人もいません。1分も1秒も、見てくれていない。
そのことをどう思うか。
このことに関心がないまま、彼氏彼女に振られたとか、子どもが亡くなったとか言っても、罠に掛かった動物のように前進すればするほど罠が深く食い込むかのように苦しみや悩みが増すどころか、絶望の突破には少しも影響が及ばないという事実。
苦しみや悩みだけが深まり。
絶望は晴れないという。
寧ろ繰り返すという。
絶望を構造で理解すること。
これはとても大切なこと。
78億人に共通する絶望の構造とは如何なるものでしょうか?そして、思惟することで到達する哲学的な絶望とは如何なるものでしょうか?
ぜひあなたもそこに思いを寄せてみてください。
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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