このところ令和哲学カフェがすこぶる面白い島崎であります。4期に入ってからは哲学者を3人取り上げ、その3人をコネクションしようとする挑戦。ファシリテーターによるチャレンジは毎度毎回美しいのは言うまでもなく、そこに引きつられ或いは追い越さんとする勢いで視聴者たちの掻き立てられる意欲と共に賢さが蓄積されていく美しさがあります。
本記事は後に、哲学者たちを紹介します。
この島崎、人生を振り返ると哲学には何の縁もなく魅力も感じてはおりませんでした。ただ、哲学がない生き方は何か違うなーとは思ってはおりました。それだけに、縁もなく魅力を感じないままは漠然とした不安のようなものは感じていました。
だから機会があれば、哲学が関わるイベントに顔を出したことがあります。そこで何を経験するかと言いますと・・・
難しい
意味不明
怖い
不可解
敷居が高い
使えない
というもの。他にもまだまだあります。これは島崎のみならず多くの日本人が抱く印象ではないかと思います。
ですが、本ブログでは何度かお伝えしている通り、令和哲学カフェは全く違います。4期になって特に強く感じており恐らく5期以降は更にその要素が濃くなる予感がしており個人的にとても楽しみです。
本ブログに何かしら感じてくれているあなた。
本記事に目が留まったあなた。
おススメしておきますので是非、令和哲学カフェをご覧ください。特におススメは、zoomによる顔出し参加、そしてブレークアウトセッションSSMに参加することです。
最近、ブレークアウトセッションSSMにとても意欲があり、この時間は短いながらも濃度の濃い整理整頓が起きることがあり、刺激的。
4期の楽しさ。
毎日1人、哲学者を取り上げ、その哲学的概念を時代背景と共に理解するのですが、その時、再解析するのがとてもスリルがあっておススメ。やはり、存在は存在だけに留まらず時空間あっての存在ですし、哲学的概念であっても哲学者であってもそれを存在としてのイメージとして捉えるなら時空間としてのイメージもある訳でして。この時空間としてのイメージを伴う存在のイメージが抱き合わさったときの爽快感、これを特に共有したくて仕方がなく、今日は本記事を書きたかったわけです。
これは哲学界のパラダイム転換。
まさしくルネサンスの現場。
スタバを超える令和哲学カフェを毎日毎日確認している島崎にはその根拠があります。アンケートにそれを書き綴ることもまた一つの楽しみであり、参加者でありながら作り手としてのアイデンティティも育つのが令和哲学カフェの未来が明るい証なんではないかと個人的に思っています。
島崎個人的には、自ら意欲的に参加姿勢が養われ、そして哲学者たちをコネクションしようとする挑戦に没入している有り様を振り返るに、あー、これは真の教育であるなと、そのような実感を得て、教育効果の高い令和哲学カフェを今後も応援しつつ、作り手としてもスタバを超える令和哲学カフェとして育てていく喜びを蓄積していこうと思っています。
視聴者が賢い企画。
最強最高です。
それでは、取り上げられた哲学者たちを紹介します。これだけの哲学者たちを3人(会によっては4人)コネクションしてきた朝鮮意志を、あなたはどのように感じますか?
下に行くにつれて、4期初回に向かいます。4期は現在進行形です。
本日も読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
【令和哲学カフェ4期で取り上げられた哲学者】
ドゥルーズ←今ここ
ヒューム
ライプニッツ
ドゥルーズ
パルメニデス
フッサール
デカルト
サール
チューリング
ヴィトゲンシュタイン後期
アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)
ヒルティ
ラッセル
マイケル・サンデル
ミル
ベンサム
ヴィトゲンシュタイン前期
フレーゲ
ソシュール
井上哲次郎
伊藤野枝
大杉栄
ガブリエル
ドナヒッグス
ラッセル
ヴーヴォワール
サルトル
ヘーゲル
荘子
老子
孔子
福沢諭吉
レビナス
ハイデッガー
フッサール
パルメニデス
ハイデッガー
マルクス
ハンナアーレント
ハイデッガー
ルソー←初回
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