不変と変化はどちらが源泉でしょうか?
万物の根源を物質的な存在で見るときは一見すると不変の方が大問題に思えるかも知れません。状況は刻一刻と変化しているのに頑として変わってくれない不変というのは、行き過ぎると頑固に映りますから不変とは融通が利かないもので、人間存在にとって困るかと思います。
変化に富む方が嬉しい、と。
万物の根源が物質的存在であればまさしく。
しかし、万物の根源が物質的存在ではなく動きであったとしたらどうでしょうか?
詳しくは別の記事に書き綴ります。
不変の方こそ源泉です。
不変は永遠不変。そちらが源泉であり、変化は不変が働くから生じるようになった結果体です。
さて、人間は変化の最中にいる存在です。
だからこそ、不動心は難しいですね。
新しい習慣を築くことも難しいですね。
変化の最中にあるからです。
人類歴史上、難解な問題そして宿命的課題があって未だに未解決ですが、それゆえに生じた様々な問題や課題がたくさん生まれていますね。
そのうちの一つが永遠不変と変化。
その関係性を理解し説明することに失敗。
だからこそ、それを可能としたら一体どのくらいの価値だと思いますか?それをなし得たのが令和哲学者Noh Jesu氏です。
彼がまたやってきます。
令和哲学カフェ第3期に。
今晩からです。
zoom配信とYouTubeLIVE配信。
おススメします。
ご注目を。
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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