4人それぞれが別の人の手を握る

役に立ちたい。それは本当に・・・

あなたもよく耳にすることではないですか?あなた自身も言ってきたことかも知れないですね。言わなくても思っていることではないでしょうか?

役に立ちたい

そう思っている人は多いのだと思います。とても聞こえの良い言葉ですし、聞くにしても言うにしても人の好さのようなものを感じます。

ところが今の時代。
特に日本において。
哲学が必要な時に。

役に立ちたいというのは本当に・・・

今は量子力学的な時代でもあります。少し前まで正しかったことも間違ってしまう時でもありますし、今が正しくても少し経てばもう正しくなくなったりする不透明な時代です。

見たと思ったことは本当に見たまんまの有り様として、そこにあるのでしょうか?

全てが揺らいでいる時代です。

役に立っていると思えることも本当に役に立っているのかどうか自体を見直しても良い時にあります。

役に立っていることは全体から見たら本当にごくごく一部分の些細なことかも知れず、しかもちょっとしたことで泡のように消えてしまうものかも知れません。

役に立っていること
本当に意味があるのか

AI(人工知能)が登場しコロナが登場している今ですから、役に立つということ自体も今の時代なりの意味合いがあって良いのではないでしょうか?

つまり、意味のあること。
本当に、意味があること。

それを探すことは大切だと思うのです。意味はどうやって生まれてくるのか?本当に意味あることとはどういうものなのか?

役に立つという話だけではなく。
意味があるということを添えて。

令和哲学カフェのテーマでも上がっていたことで、本ブログでも取り上げたくなりました。

お読み下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。


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