歴史上、真実を発信してきた存在がありましたが、どのような反響があったのかについてショーペンハウアーが言ったことがあります。令和哲学カフェで紹介された哲学者ショーペンハウアーは何を言ったのでしょうか。
あなたは想像がつきますか?
あなたは真実を発信したことはありますか?あなたなりに精いっぱいに、心を込めて、一生懸命に、真実を伝えたときの身近な人の反応といえばどのようなものであったでしょうか?
そのような話です。
歴史上、真実の発信は何度か行われています。有名どころでは釈迦がそうでしょうし、Jesusもそうでしょう。
ショーペンハウアーは、西洋の出でありながら仏教を学んだ特異的な人物です。哲学者カントが大好きだという話ですね。
令和哲学カフェでは、哲学者らしい哲学者としてカントを認める点から見てショーペンハウアーに一定量、評価できる哲学者であると見ています。
ショーペンハウアーは、こう言います。
真実を伝えたとします。
するとその反響は3段階となるでしょう。
1段階目・・・無視される
真実を高らかに告げたとします。或いは普通に告げたとします。それがどんな伝え方であったとしても、無視されるのが最初の段階だと言います。
当然のことでしょう。
現実の観点からすると、真実というのは信じがたい奇怪でおかしなことを言うものです。真実とは聞こえが良いものですが、現実的観点から真実の話を聞けば実は現実の外なので、関心の対象外。
それでも真実を伝え続ける。
すると次の段階へ行きます。
2段階目・・・軽蔑される
バカにされるでしょう。無関心だと全く目に入らないでしょうし、入っても認知されない。そんな段階から、目に入るようになり、認知されたならば、やはり現実的観点から見たら奇怪でおかしなことだと言うことがハッキリします。
当然、嫌悪されます。
奇怪さがパワーアップ。おかしいし、危険だし、愚かだし、何とも形容しがたいことを言い続けている人になります。
だから、馬鹿にされること必死。
それでも真実を伝え続ける。
すると次の段階へ行きます。
3段階目・・・認められる
真の価値として、大層な偉業として、大きく認められるという段階。馬鹿にされるほどのおかしなことであった現実の外であった真実でしたが、そんな真実によって現実が成り立ち現実の見方自体が大きく変わってしまう頃、大きく認める段階になります。
真実に到達した人であっても、この3段階目に到達することは中々ありませんし、到達しても時代を跨いで到達することばかりです。
ショーペンハウアー自身も。
真実を語ってきた存在を、この段階に照らしてみて下さい。本当だ、と思うことでしょう。そして、他の記事に譲りますが、令和哲学者はどうであるのかについて書いてみたいと思います。
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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