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因果関係。錯覚現実相対世界

文明先進諸国に共通する深刻な問題の一つに雇用問題があります。実は、AI(人工知能)が登場するまでもなく、長い時をかけて、仕事場から人間の居場所がなくなってきています。

テクノロジーが変わりイノベーションが起こりライフスタイルが変化することで、旧き職を失ってきています。

雇用問題は大変深刻な問題です。

一方で、旧い職を失うものの新しい職が必ず生まれてくるという体験からくる経験論や、期待が見え隠れする楽観論もあります。今までもそうだったのだから、今からもそうなるという論理です。

今までの成長レベルでしたら、その通りでしょう。しかし、ディープラーニングで飛躍したAIや、今からまだまだ飛躍するAIは最早、成長レベルを通り越して進化レベルと言っても過言ではありません。

体の延長を助ける道具でした。
脳を直接助ける道具の登場です。

随分と様相が変わります。

人間を上回る知能の持ち主はゼロでした。
それが遥かに上回るのがAIたちです。

今までとは勝手が違います。

ところで、人間は錯覚現実相対世界で生きる以上は必ず、因果関係に支配されるようになります。

時間に逆らえますか?
重力に逆らえますか?
飲食せずとも生きられますか?
生老病死から自由ですか?

必ず、原因があって結果があって、その法則から抜け出ることが出来ません。数学や物理学など、科学技術も因果関係の下に成り立っています。

社会も因果関係によって成り立っています。
生きていく上では因果関係の束縛を受けます。

雇用問題も、そのような原因があって起こる結果現象。だから、錯覚現実相対世界でそんな結果現象を変えたいのであれば、原因を変化させるしかありません。

ですが、原因にはそのまた原因があり、更にそのまた原因があって、第一原因までさかのぼれるかと言いますと限りがあると思いませんか?

例えば、あなたを生まれるようにさせている原因は、父母だと思いますが、更にその父母、更にはその父母とどこまでもさかのぼるとき、あなたはそこにいますか?

また、雇用問題にしましても、ディープラーニングの技術や進化するAIなどを支えている技術の背景にある概念は、日本独自で誕生したものではなく、アメリカやイギリスなど西洋を根源として生まれたものばかりです。それは科学技術だけでなく、経済や政治や文化芸術などの尽くが西洋の恩恵を被っています。そのときの西洋にあなたはいますか?影響を与えれるでしょうか?

人間は、自分の自由なる意思が働いていると一見、思えますが、第一原因までさかのぼることには限りがあり、実に多くのことにはあなたの自由意思は働かないかに見えます。

法律は簡単に変えれません。
税金も簡単に変えれません。
雇用問題も長らく深刻です。

自由意思がそうは簡単に通らない因果関係の中で一生懸命生きること。一体どんな意味があるのでしょうか?自分よりも先に影響力をもった存在を原因として、結果現象のあなたの今があります。

前提を覆さない限りは。

それは一人では難しい世界です。だからこそ、一緒に取り組みたいと私は思っています。一緒に前提を覆しませんか?

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nTech。科学技術終焉のとき

技術的特異点(シンギュラリティ)は、科学技術の終焉でもあり同時に、物質文明の終焉でもあります。経済活動と産業や技術は切っても切り離せない時代になりましたから、科学技術の終焉や物質文明の終焉は、そのまま経済活動が停止することを意味します。

見かけの数字上は経済成長しておりましても。
心を取り入れた実際の経済循環は停滞。

今まさに、経済活動に明るい兆しはなく不透明なのは、産業や技術に停滞感があり同時に、人間の欲求、更には心を満足させる欲望を刺激することに失敗しているからです。

科学技術の終焉のとき。

新しい技術を必要とするときです。正しくそれは認識技術nTechであると確信しています。なぜ、そう言い切れるのか?

哲学者カントを借ります。

科学技術は認識対象を開発し開拓するものでしたが遂に、認識主体だと思っていた体や脳までもが、科学技術の領域に突入していますよね。

本当の認識主体ではなかった。
そういうことです。

ですから、本当の認識主体を探さないといけませんし、その領域を開発し開拓するのであれば、その技術は科学技術では手掛けない領域ということでもあります。

心人間を啓発すること。
哲学であり認識技術。

認識技術nTech。
まさに科学技術終焉のときに。
真価を発揮すると言えましょう。

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人間。正しく知りたいけど

令和哲学カフェでは哲学者らしい哲学者として認める偉大な哲学者カント。令和哲学カフェでは令和哲学者曰く「彼は哲学とは何かを整理した唯一の哲学者」「カントの言っていることを正しく理解している人がいない」とありますが、初めは理解できなかったことも毎日開催されている令和哲学カフェですから、よくよく理解が深まってきます。

そんな島崎は哲学者カントに尊敬の念を抱きながら、令和日本はカントの意志を継承し哲学が弱い日本でこそ逆に哲学ブームを興したいと思うようになりました。

哲学者カントの偉業は別の記事に書いてます。
ぜひ、そちらをお読みください。

カントは、人間は一体、

何を知るべきか?
何をやるべきか?
何を希望するべきか?

という人間人生の根源的な問いを放っており、カント自身がこの問いに誠実に答えようとしています。カントよりも前の哲学者、そしてカント以降の哲学者も、カントの問いかけの理解と、カントの深い洞察を正しく理解している人がほとんど居ないということで、一体どのくらいカントが深い世界のことに触れていたのか、そして伝えようとしていたのか、染み入るものです。

カントの偉大さはある重要な発見にあります。

カント前までの哲学者たちが明らかにできなかったことをカントが明らかにしたことの一つとして、人間は一体なにを知ることができるのかという問いに対して、ここまで、ここから、という線引きを引くことでした。

知ることの限界を示します。

人間は、体験しなくとも知ることはできるよということを言いつつ同時に、知る領域に限りが必ずあるよと示すことに成功したことで、それ以外の領域があるということをハッキリと示唆します。

人間は、全てを知ることができますか?

あなたは今、素粒子の動きを見たり、ひもの振動や膜の動きをとらえることが出来ますか?そうした存在を知ることも難しいですが、存在の動きや存在を成り立たせている働きなどは分からないですよね。

あなたは今、地球の活動を見たり、太陽の活動を見たり、銀河系や宇宙全体の動きを見ることができますか?天体の存在を知ることは困難ですが、天体の動きや天体そのものを成り立たせている働きなども分からないですよね。

存在の外であったり空間の外。
存在させたり空間を成り立たせているもの。

あなたがもし、ボールペンのことを知っているとしても、ボールペンを成り立たせている膨大な背景までを知っている訳ではありませんから、実は本当の意味ではボールペンを知っているとは言い難いでしょう。

実際、あなたはボールペンを創るノウハウはないでしょうし、ボールペンを創るようにさせている知識や技術の更なる背景は知らないでしょう。

このことで分かること。

正しく知っていることはありません。
全体を分かってはいません。

まさしくカントが言っている世界です。

さて、カントがいうように認識形式(観点)を持っている以上は知る範囲に必ず限界が生じるので、必ず部分を見るようになります。

このような状態にあること。
これが初期設定であること。

このことを知らないままで、そして理解しないままで、人間が幸せを追求したり、成功しようとする様をあなたはどう思いますか?

幸せになろうとしている正にその瞬間、その人間が正しく知っていることがありませんし、それまでも、それからも、ないことがその人間に働いている初期設定だということを。

果たしてそのままに放置しておいても良いのでしょうか?

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偶然の人生

人間が生きる環境は、文明社会環境から地球環境、そして宇宙空間などがあります。これらを物質的な環境で見ると、物理的な因果法則に則り決定論的な必然が隠れていると分かります。

物理の宇宙は、数学的に正確に運動する。
一方で、観察を精密にしていきますと。

必然に思えた全ての出来事は量子力学からひも理論、M理論となるにつれて、激しすぎる動きによっておこる現象であり、必ずしも全てが決定しておりません。正確に予測することが出来ません。偶然によって成り立っているように思えます。再現が出来ないんですね。

人間の意識から見たらどうでしょう。

生きていると様々な出来事があります。
その出来事は意思通りになりますか?

あなたがいる場所は大雑把に見れば地球。
そして地球があるのは太陽系ですね。
更には銀河系があって宇宙空間があります。

それぞれの存在とその存在は動いていますが、そのような存在たちの動きをあなた自身の意思で動かすことは可能ですか?

宇宙空間内の動きに対して。
あなたの意思が働かない。

それはあなたの意思と繋がった出来事とはならず、あなたが起点となって出来事を仕掛けるという言わば事件を起こそうとすることは出来ませんよね。

宇宙空間内の存在と動き。
それは偶然の産物であると。
あなたの意思も介在しません。

そして、あなた自身が体人間として生まれてきた時でさえ、あなた自身の意思は働いているのかというと、、、

あなたが誕生したときのことです。
それは必然ではなく偶然の産物。

偶然によって成り立ち、偶然の土台の上に偶然の産物としてあなたが誕生してきました。生まれてからの人生はどうなりそうですか?

偶然の人生。
偶然によって成り立ちますね。

体人間あなただけではなく、体人間であれば誰もが皆んな偶然によって成り立っています。意思をもって取り組むこと一つひとつは偶然によって成り立った結果であり、偶然に囲まれて、偶然のものとして、偶然に起こる出来事が目の前に現れてきます。

体人間あなたがどんなに一生懸命に何かをやろうとしても、それは偶然。偶然の人生。そのことにどのくらい一生懸命に取り組む意味があるというのでしょうか?

一方で。

体人間であれば偶然によって成り立ちます。
しかしnTech令和哲学の立場は違います。

nTech令和哲学が案内する本来の人間。

宇宙を1回だけ創って壊せない神よりもスゴくて更にスゴすぎる本来の人間。そうであれば必然。

全てが必然であることが明確に分かります。
その観点から体人間で生きることを見ますと。

偶然によって成り立っている体人間人生。

一生懸命生きることが一体どのくらい意味があるのでしょうか?偶然によって成り立つ世界で懸命に生きても意思が通らない偶然の結果とだけ出会う。

そこでは絶対尊厳とは言えませんね。

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誰の人生?生死は自分で…

今は全体主義の時代プレートと違いますから、王様を中心としたライフスタイルではありません。ですから、誰の人生を歩むのかと言ったときに、王様の人生を歩んでも良いですが、必ずしも王様の人生を選択しなくとも良いですよね。

体人間個人から見たら、自由です。
誰の人生を生きるのかの選択権があります。
選択肢が王様以外に増えています。

そして個人主義の時代プレートでは、必須という訳ではありませんが、その推奨される選択を体人間個人においています。

自分の人生を生きたい

その様に思うことが許されるのは全体主義の時代プレートから離れて、別の時代プレートへと進化してきたからです。では本当に自分の人生を生きていると、本当に言えるものでしょうか?

王様が自分の自由にできたのは選択肢の中から自由に選択できたことです。幅広い選択肢があって、自由に選べました。個人一人ひとりの概念は当時はなくて、王様の認識画面と如何に一致させて王様が幸せになるのかを一生懸命に考える生き方が最高とされたものです。

体人間個人が自分の人生を生きるということは、自分の認識画面を存分に選択できることでしょうし、体人間自分自身の幸せを一生懸命に考えることなのでしょう。

そして全体主義の時代プレートと違って大変に有り難いのは、王様の命令に沿って体人間自分の命を捨てなくても良いという事です。

あの時代は戦争が当たり前です。
戦争が始まれば命は王様のもの。
実は戦いでなくても、ですよね。

王様の気分一つで、罰せられて命を落とす体人間個人は沢山いました。王様と一つになるとはそういうことです。個人主義の時代プレートでは、王様に生きること、死ぬことの権利までも委ねなくても良いのです。

漫画『鬼滅の刃』における冨岡義勇の言

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

が名言だとされるのは、そうした背景も一つ大きいのでしょう。

尊厳そのもので生きる姿を感じさせてくれます。

では生きることや死ぬことを選択する権利は本当に人間に
あるのでしょうか?あなたはどうですか?

体人間あなたが、生まれてくることを選んできましたか?そして体人間あなたが、死にゆくことを選んでいますか?

父親と母親がいてあなたがいます。
あなたが選んだのでしょうか?

寿命というのがあります。
不意に突発事故が起こるかも知れません。
あなたが選んだのでしょうか?

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

あなたが握っていますか?
自分自身の生殺与奪の権を。

よく考えてみて下さい。
これは大切なことです。

生死を自分で決めることができないのであれば、それを自分の人生だと言えますか?生死を自分で決めていないことが一体どういうことなのか、整理整頓しておかなくて良いのでしょうか?

このことを放っておいて、体人間個人主義だとして一人ひとりは一生懸命に生きています。

それで人間は輝くのでしょうか?
それで人間が生き生きしますか?
それが尊厳そのものと言えますか?

こんなことを放っておくから、様々な問題は山積していくのではないでしょうか?

生死を自分で決める。
生殺与奪の権を握り切る。

あなたが、中心です。

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人間は愛したい

愛したいのに愛せない。
どのくらい苦しいでしょうか?

本来、人間は無償の愛を注ぎます。
∞の愛を投入します。
愛は与えるもの。
あげて、あげて、まだあげて、まだまだあげる。

それが愛です。

ここまで、といった限りを設けないのが愛の特徴ですし、あげればあげるほど、まだまだあげたくなるのが愛です。終わりがなく、常に膨らみえるのが愛。

ところが体人間はそうはいきません。
なぜでしょうか?

あなたはどうでしょうか?

無償の愛をもらっていますか?∞の愛をもらって、もらって、まだまだもらっていますか?断言しますが、もらっていないでしょう。無償の愛を与えて、与えて、まだまだ与える体人間が世の中に居ないからです。

∞に膨らみ続けるならば。
今も常に常に膨らんでいる。

だけど、現状は経済活動に循環はなく、政治行政は不透明で、未来には希望を感じず、少子高齢化の文明病が先進文明諸国を襲い、地球温暖化がホモサピエンスを滅種に追い込もうとしている。一体どこに無償の愛があるのだ、と首を傾げたくなるほどに。

ただ、繰り返しますが本来、人間は無償の愛を注ぐもので、∞の愛を投入します。あげて、あげて、あげまくる。

人間は愛したい。
だけど、体人間は愛せない。

愛せないのが体人間です。
なのに体人間から愛をもらおうとする。

初期設定上、無理なことですが、一生懸命に愛をもらおうとする姿も、一生懸命に愛そうとする姿も、どれくらい意味があるでしょうか?その人生はどのくらい報われるでしょうか?

初期設定を超えない限り人間は・・・

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出会い不可能。会っているようで

人間は一人では何もできません。
生まれてきた時も一人ではありません。

必ず誰かと何かをしないと生きていけないようになっています。人は必ず他の人と出会うようになっています。

本日は、出会い不可能について書きます。

実は本ブログは、5人組を創ることを目的としていますし、英雄集団日本について書き綴る意志があります。英雄集団日本であろうとして5人組を創ろうとすることと、この出会い不可能というのは実は直結している話でもあります。

実は、よくよく見ると分かることですが。

人と人とは出会っていません。
出会い不可能が初期設定です。

一体、初期設定ゆえに人間には何が起きているのでしょうか?このことを理解することはとても重要です。

人間は、認識活動をしています。
5感覚を使って、脳で情報処理しています。

5感覚のうち、大部分を占めるのは目からデータを得る視覚ですね。視覚で得たデータを脳に送り、各部署に分けて処理をして、記憶と共に再融合して認識画面を創り上げます。

出来上がったその認識画面。
それが見るという行為です。

では自分が創った認識画面と全く同じ認識画面を創る他人はいるでしょうか?以前、本ブログでも記事にしましたが、1分でも、1秒でも、同じ認識画面を見る人はいませんよね。

母親や双子の兄、それから愛する旦那さんのようにどんなに身近な存在であったとしても、それから尊敬する先生や指導者、歴史上の偉人や賢人たちであっても、自分の立ち上げた認識画面と全く同じ認識画面を立ち上げる人は一人もいませんし、1回すらありません。

5感覚脳の認識に観点を固定する。
それは同じ認識画面は創らない。

そういう意味です。

例えるなら、全く違う時空間にいるようなものです。あなたが立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の火星にいるようなものだとしましょう。そして、あなたがとても仲の良い人が立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の土星にいるようなものだとしましょう。その他の人の認識画面は、火星にも土星にもいないということになります。

会話は成立しませんよね?
本来であればそうです。

ところが、不思議なことに同じ宇宙空間を共有しているからか、まるで同じ時空間にいるかのように、会話が成立しているように錯覚しています。

本当は、同じ情報知識ではありません。
データ元が、火星/土星/その他くらい違う。

同じデータを見ているようで実は、全く別のデータから始まっています。それが各々が創り上げた認識画面であり、見るという行為です。

出会い不可能。

会っているようで会っていません。

出会っていると思う人生は何でしょうか?
その人生は意味があるでしょうか?

出会い不可能。

このことに気付くことです。
問題を発見することです。

出会い不可能を横に置いておいたまま、一生懸命に交流しようとしたり、理解してほしいと思ったり、理解してあげようとすることに、人生の意味はありません。

今ここ、出会い不可能。
今ここ、出会いを可能にするには?

観点の固定がもたらす問題に気付き、時空間の違いを超えて先ずは全く新しい人生が何であるかを知ることです。

何故、5人組を創ろうとするのか、英雄集団日本だと何故言えるのか。そこにも繋がる話です。観点固定の問題を解消する新しい人間存在として今までにない全く新しい出会いが開けてくるからです。

出会い不可能。
観点固定の人生に意味はない。

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理想から出発するnTech

こんな時代だからこそ理想から出発することが大事だと思いませんか?多くの方は総論に賛成し、しかし各論に入ると反対もしくは保留をするでしょう。

一体どうしてでしょうか?

理想から出発できればそれに越したことがないであろうことを多くの人は認めていますが、結果的に選択するのは現実から出発することです。

理想出発が良いのか。
現実出発が良いのか。

そんな論争にも終止符が打たれていないためか、理想出発が良いと分かりつつも多くの人は現実出発をするでしょう。

本当に。
一体どうしてなのでしょう。

もしあなたが理想出発が断然良いと思う方でしたら、本日の記事は参考になるかも知れません。理想出発について、少し掘り下げる記事になればと思い書き綴っています。

現実出発だと困る場合とは何でしょうか?
あなたは考えたことはありますか?

四季でいうところの今が冬とします。

あなたは、冬の季節に何かをするとき、それが現実出発であっても問題はないかも知れません。ですがもし、今が冬ではなく、しかも春でも夏でも秋でもないとしましょう。

氷河期です。
今が氷河期の入り口。

何万年という単位で氷河期。

あなたは、現実出発していて良いと思いますか?現実出発ということは、あなたは今を冬と認識していますから、次は春が来ると思って準備します。

ところが春は来ません。
今は氷河期ですから。

そうして、おかしいとあなたは思いながらも長い冬を持ち越すべく春の到来を待ちます。時々、暖かくなることがありますが、局所的に暖かくなるものの日に日に寒くなりやがて、夏になっても良い頃の季節のハズなのに、冬よりも過酷な冬であると気付き、ようやく疑問を抱きます。

そこからあなたは動き出します。
それが現実出発ということです。

現実出発をしていたら大変な目に遭う。
そんな一例を紹介しました。

一例ではありますが、このことから分かることの一つとして、理想出発が光るときというのがあります。それは現実出発では極めて困難な状況が想定されている場合、しかもそれが確実に到来するであろうことが事前に分かっている場合、理想出発が光ります。

人間の道へ進化してきた当時の動物人間たちであったのか、動物の道へ留まっていった当時の動物人間たちであったのか、その違いを分けたものと言ってもイメージしやすいかも知れません。

一見すると豊かな森を脱出して砂漠へ行くのは過酷な道であり、困難を極めるでしょう。しかし人間へと進化して種が保存されたのは、豊かな森を脱出した方でした。今では全ての動植物とは次元の違う領域へと進化しています。

nTechは完全理想出発です。
理想に始まり理想の過程で理想の結果。
結果的に結果が創られ、理想が現実化します。

現実を理想にするのではなく、理想だけで現実化していく道こそが、今の時代、特に日本には必要なのではないでしょうか?

nTechは貢献します。

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今ここどう生きる?

人間であれば誰もが皆んな知りたいものです。知らなければ生存において危ないこともそうですし、生産においても劣りますし、精神活動や文明活動においても満足しません。

知ることは大事です。

とは言え、人間は知ったからこそ知っていることに束縛されてしまいます。知らなければ悩むことも苦しむことも争うこともなかったのに、知ってしまったことで生きることが難しくなります。

知らないと問題。
知っても問題。

そんな中で、一体なにを知るべきでしょうか?

令和哲学カフェでは哲学者として認めるカントに触れることがよくありますが、哲学者カントは哲学的な問いを投げています。

人間は一体、何を知るべきか、何をやるべきか、何を希望するべきか、と。多くの人が実は抱えている悩みに繋がり得る質問ですよね。

今ここどう生きるのが良いのでしょうか?

人間だったら誰もが皆んな悩み苦しくことだと思いますが、大半の場合は今ここに勝負するというよりも、過去に後悔し未来に不安するタイプの悩みで現在とは切り離されていることが多いですね。

その現在さえも今ここと断絶されています。
令和哲学では今ここを強調します。

今ここの連続が人生。
今ここをどう生きるかが人生そのもの。

令和哲学でいう今ここ。

それは時間も空間も存在もエネルギーもないところ。時間や空間や存在やエネルギーがあって、過去/現在/未来がある今ここではなく。

今ここをどう捉えるかによって。
今ここどう生きるかも変わりそうです。

今の時代にカントだったら。
どう生きたでしょうか?

あなたは、どう生きますか?

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啓蒙の必要性

西洋では盛んに啓蒙活動が行われたこともあり、東洋の国々と比べたら形成される勢力に格差が生まれますし、文明にも圧倒的な格差が生まれました。啓蒙活動は主に、自分の置き所はこの体だという個人主義に基づいたものです。

本日のテーマは、「啓蒙の必要性」です。

1.時代背景。全体主義から個人主義へ

農業社会の頃は全体主義でした。
やがて産業社会へと変わります。

このとき、全体主義に対して個人主義へと変化していきますが、その変化が起こる一つのキッカケが啓蒙活動でした。

時代の変わり目は劇的な変化です。
ライフスタイルがまるで変わる。

旧いライフスタイルはストップしてこそ、新しいライフスタイルへと移動できます。劇的な変化が起きる最中では、全体主義を成り立たせている概念が壊れていくプロセスがあります。

全体主義とは何でしょうか?

一人ひとりは今のように引っ越しの自由も結婚の自由も認められていません。全て王様の許可がないといけません。王様と如何に一つになれるのか、それが全体主義です。自分とは一体何でしょうか、との質問があれば、王様を中心とした国家全体だと答えるかも知れません。

それをストップさせてこそ次の時代です。
次の時代とは個人主義ですね。

2.教育。自分とは何か?

自分のことを考えるならば、全体主義のときはそれは王様を指します。自分の幸せや成功を考えるとき、それは王様の幸せや成功を考えるのと同じ意味です。そして、結果的にそれは国家全体が幸せであり成功していると考えていますね。

そんな全体主義が終わります。
そして個人主義が始まります。

では直ぐにでも新しい時代を始められるものでしょうか?フランスで市民革命を起こした人たちが、全く新しいライフスタイルを提案しても、大勢の人たちはまだ、幸せや成功は王様と一つになることであり、国家全体を考える状態です。

王様は確かに権威を失いましたが。
それは自分の権威を失うようなもの。

王様のために生きてきた今までが根強く残っているものですから、自分のためといっても直ぐには始められません。

そこで教育が必要となります。

王様が自分ではないという教育。
王様ではない自分とは何者なのか。

個人主義が始まった頃は、自分とは王様ではないことを学び、また教え、同時に全く新しい自分という概念を学び教えることが盛んでした。

それが啓蒙活動です。
自分とは体人間のことだと。

神の下で平等なのだから、体人間一人ひとりが幸せになり成功する権利を手にしているのだと。

3.観点の問題。海とお魚

啓蒙は必要なことでした。

もし啓蒙がなされず教育が行われなければ、せっかく全体主義から個人主義へと移り変わる事件が起きたものの、旧い秩序が完全にストップしないまま、新しい秩序がスタートすることが極めて難しくなっていたでしょう。

その結果、以前の全体主義よりも強固な全体主義へと逆戻りしていたかも知れません。現代にもまだ独裁国家が残り、激しい戦争をしているかも知れません。

全体主義から個人主義へと移り変わる観点から見て、啓蒙活動や自分を体人間だと教育することはとても素晴らしいものがあります。

しかし、その観点が永続するでしょうか?
個人主義が浸透した頃も必要でしょうか?

全体主義を離れる上では必要不可欠な啓蒙活動または自分=体人間を教育することであっても、あくまでも全体主義を離れる前提での話。

もはや時代プレートが個人主義へ移ったならば。更には、個人主義においてもマンネリが起こり、全体主義から離れる必要性があった頃のように、個人主義から離れる必要性が生じている今でしたら。

自分=体人間を教育することは間違っています。

そして実際、行き過ぎた個人主義は個人主義の秩序さえも自らが破壊してしまうかのような無秩序へと突っ切り、AIが体人間を代行し、チップが体人間に入り、体人間がチップになろうとする今から。

自分=体人間を教育すれば未来がありません。

4.心人間。令和日本が行く道

自分とは何か?

これに対する理解が足りないから、旧い教育をやり続けているのだと思います。同時に、今はもう新しい教育が必要なときに来ていることも見えていないのだと思います。

個人主義を離れて次の時代プレートへ。

歴史上でも初めてのこと。
世界中で他に誰も言わないこと。

それを令和哲学者が言っています。

自分とは何か?

これに対する理解を補う必要性をずっと、日本で25年以上も言い続けています。令和よりも前から令和のライフスタイル。令和の幟が立ってからは令和哲学者としてより一層。

心人間として。

令和日本が行く全く新しい道を教えてくれています。そして令和日本が世界に教えていかなくてはならない新時代を創る次元の違った啓蒙活動について。

令和日本にしかできない仕事。

5.恒久世界平和。世界基軸教育

恒久世界平和の実現。
その資格があるとすれば令和日本。

その根拠に是非触れてみて下さい。日本をこよなく愛するNoh Jesu氏と出会うと明確になります。スッキリします。わくわくします。

かつては、観点の問題を超えることができなかった教育水準だったために啓蒙活動には限界があり、世界平和は観念で終わりますが、令和日本には世界基軸教育として魅力的な候補が誕生しています。

全人類が共有できる内容。
誰もNoが言えない内容。

そんなことがあるのか。
あればよいが現実は。

そうですね。

真実と錯覚現実の関係について誤解があるから、そのように思うのでしょう。理想だが現実には無理だろう、と。しかし、真実と錯覚現実の関係について理解を深めることで、スッキリ通ることを確認し、わくわくすることでしょう。

世界基軸教育が必要なとき。
令和日本には候補があります。

6.答え。あります

自分=体人間

その観点でしたら、真実と錯覚現実の関係性を明確に理解できる答えはないだろうと思うのは全くその通りだと思います。しかし、

自分≠体人間

の観点でしたら、答えはないという主義主張は間違っているかも知れませんね。そして、心人間と出会うことで、明確になる世界があります。

答えはあります。
あなたも出会ってください。

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