本当は日本にとても相性が良い概念です。絶対、完全、完璧、、、これらは真に日本らしい日本であり同時に、美しさでもあります。感動を伴います。全世界を感動させ、全人類が涙を流すと言っても過言ではないほどに美しい世界。
それが絶対、完全、完璧です。
nTech令和哲学による文明歴史の解析ではプレート理論を多用します。
神や王様の観点1個だけを使って全てを整理整頓していた全体主義の時代を離れて、個人1人ひとりの観点を全て大事にしようとなった観点∞個の個人主義の時代に突入してから今まで、徐々に広がっていった概念があります。
それがタイトルに書いたもの。
絶対はない
完全はない
完璧はない
全体主義を離れた個人主義から見たら、これはとても良いことですし、人の好感を得やすいでしょう。全体主義を窮屈に思い、その時の不自由さを知っているからです。
一方で。
この様な主義主張が飛び交うことで逆に、気付かないうちに問題が徐々に広がっていきます。最初は大ヒットであったこうした主義主張にも賞味期限があります。
そのことをご存じですか?
今まさにそのピークに来ているからこそ、映画「JOKER」のような状態であったり、AIの登場やCovid-19の猛威によって全世界が混沌としています。
絶対はない
完全はない
完璧はない
ある意味ではそうですが、それでは一体どうしてそのように言えるのかという根拠は何でしょうか?そして、何ゆえに主義主張が溢れすぎることで、別の問題が次々と生まれて収集がつかなくなるというのでしょうか?
そのことを理解しておけば。
進みそうな気がしませんか?
今も生まれ続ける問題。
混沌が長く続いている今。
絶対はない
完全はない
完璧はない
と、そのように言える根拠を理解するところから一歩、前に進むと宜しいかと思います。
読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。
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