去年の今頃は、一年後が今のようになっているであろうと誰が予測したでしょうか?年末をどのような気持ちで令和元年(2019年)を終えようとしていたのかは1人ひとり十人十色でしょうが、多くの人は明るい年になれば良いなと期待していたのではないでしょうか?
本日は、暴かれた人間の孤独にまつわる記事です。
さて、あいにくと新型コロナウイルス感染拡大の影響は全世界規模であまりにも大きいですが、もしこれが大きな飛躍に向かう一歩手前の、大きくかがむ時なのであれば、そこには何らかのメッセージがあると思いませんか?
あなたはどう思いますか?
メッセージがあるのなら、一体それはどのようなメッセージが隠れているのでしょうか?
新型コロナウイルス感染拡大と共に人間1人ひとりは密を避けソーシャルディスタンスが習慣付いてきましたね。そして、手洗いやうがいなど除菌や消毒の観点と共に清潔であろうとする傾向が高まります。
一方で、ウイルスがどこに存在するか目に見えませんから、人と人とが一緒にいる空間では心からは気が休まりません。誰がウイルスを保有しているか分からず、自身もウイルスを保有しているかも知れません。
その状態で、物理的な距離だけではなく気持ちの距離や心の距離が顕著に現れました。
また、以前に比べて寄り道は減ったのではないでしょうか?不要不急の用事が激減し、体を移動させる時間は極めて減ったのではないかと思います。
そんな中で、今まで接してきた人たちの顔ぶれが変わり、親しかった人たちとの関係が疎遠になり、もともと関係が築かれていない人との間柄は関係が切れたり、初めて出会う人は基本的に警戒しますし、不安や恐怖の感情が心の根元に過ります。
新型コロナウイルス感染拡大がもたらしたものは数多くあるでしょうが、その内の一つとして人間が気付いたことの一つに、これがあると思います。
人間は孤独だった。
私は孤独だった。
ウイルスが暴いたものの一つ。
私は孤独があると思います。
そして、この孤独を正面から突破する時に、人類は大きな飛躍へと向かい、文明歴史上にない最も平和な時代へ力強い一歩を歩むのだと思います。
読んで下さって有り難うございました。宜しかったら別の記事もお読みください。
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