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人間は愛したい

愛したいのに愛せない。
どのくらい苦しいでしょうか?

本来、人間は無償の愛を注ぎます。
∞の愛を投入します。
愛は与えるもの。
あげて、あげて、まだあげて、まだまだあげる。

それが愛です。

ここまで、といった限りを設けないのが愛の特徴ですし、あげればあげるほど、まだまだあげたくなるのが愛です。終わりがなく、常に膨らみえるのが愛。

ところが体人間はそうはいきません。
なぜでしょうか?

あなたはどうでしょうか?

無償の愛をもらっていますか?∞の愛をもらって、もらって、まだまだもらっていますか?断言しますが、もらっていないでしょう。無償の愛を与えて、与えて、まだまだ与える体人間が世の中に居ないからです。

∞に膨らみ続けるならば。
今も常に常に膨らんでいる。

だけど、現状は経済活動に循環はなく、政治行政は不透明で、未来には希望を感じず、少子高齢化の文明病が先進文明諸国を襲い、地球温暖化がホモサピエンスを滅種に追い込もうとしている。一体どこに無償の愛があるのだ、と首を傾げたくなるほどに。

ただ、繰り返しますが本来、人間は無償の愛を注ぐもので、∞の愛を投入します。あげて、あげて、あげまくる。

人間は愛したい。
だけど、体人間は愛せない。

愛せないのが体人間です。
なのに体人間から愛をもらおうとする。

初期設定上、無理なことですが、一生懸命に愛をもらおうとする姿も、一生懸命に愛そうとする姿も、どれくらい意味があるでしょうか?その人生はどのくらい報われるでしょうか?

初期設定を超えない限り人間は・・・

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出会い不可能。会っているようで

人間は一人では何もできません。
生まれてきた時も一人ではありません。

必ず誰かと何かをしないと生きていけないようになっています。人は必ず他の人と出会うようになっています。

本日は、出会い不可能について書きます。

実は本ブログは、5人組を創ることを目的としていますし、英雄集団日本について書き綴る意志があります。英雄集団日本であろうとして5人組を創ろうとすることと、この出会い不可能というのは実は直結している話でもあります。

実は、よくよく見ると分かることですが。

人と人とは出会っていません。
出会い不可能が初期設定です。

一体、初期設定ゆえに人間には何が起きているのでしょうか?このことを理解することはとても重要です。

人間は、認識活動をしています。
5感覚を使って、脳で情報処理しています。

5感覚のうち、大部分を占めるのは目からデータを得る視覚ですね。視覚で得たデータを脳に送り、各部署に分けて処理をして、記憶と共に再融合して認識画面を創り上げます。

出来上がったその認識画面。
それが見るという行為です。

では自分が創った認識画面と全く同じ認識画面を創る他人はいるでしょうか?以前、本ブログでも記事にしましたが、1分でも、1秒でも、同じ認識画面を見る人はいませんよね。

母親や双子の兄、それから愛する旦那さんのようにどんなに身近な存在であったとしても、それから尊敬する先生や指導者、歴史上の偉人や賢人たちであっても、自分の立ち上げた認識画面と全く同じ認識画面を立ち上げる人は一人もいませんし、1回すらありません。

5感覚脳の認識に観点を固定する。
それは同じ認識画面は創らない。

そういう意味です。

例えるなら、全く違う時空間にいるようなものです。あなたが立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の火星にいるようなものだとしましょう。そして、あなたがとても仲の良い人が立ち上げた認識画面はまるで太陽系惑星の土星にいるようなものだとしましょう。その他の人の認識画面は、火星にも土星にもいないということになります。

会話は成立しませんよね?
本来であればそうです。

ところが、不思議なことに同じ宇宙空間を共有しているからか、まるで同じ時空間にいるかのように、会話が成立しているように錯覚しています。

本当は、同じ情報知識ではありません。
データ元が、火星/土星/その他くらい違う。

同じデータを見ているようで実は、全く別のデータから始まっています。それが各々が創り上げた認識画面であり、見るという行為です。

出会い不可能。

会っているようで会っていません。

出会っていると思う人生は何でしょうか?
その人生は意味があるでしょうか?

出会い不可能。

このことに気付くことです。
問題を発見することです。

出会い不可能を横に置いておいたまま、一生懸命に交流しようとしたり、理解してほしいと思ったり、理解してあげようとすることに、人生の意味はありません。

今ここ、出会い不可能。
今ここ、出会いを可能にするには?

観点の固定がもたらす問題に気付き、時空間の違いを超えて先ずは全く新しい人生が何であるかを知ることです。

何故、5人組を創ろうとするのか、英雄集団日本だと何故言えるのか。そこにも繋がる話です。観点固定の問題を解消する新しい人間存在として今までにない全く新しい出会いが開けてくるからです。

出会い不可能。
観点固定の人生に意味はない。

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観点固定。人生の1ページ

生きていると色々あります。調子が良かったり調子が悪かったり、人生の転機ともいうタイミングがあったり、自分という登場人物以外にも多くの人が人生には関与しています。そのような人生物語を小説で例えることがありますね。小説の佳境に入るときには人生の1ページなどと表現したりして。

本日のテーマは、「観点固定。人生の1ページ」です。

1.人生という小説のページ数

たった一つの物語ですら小説のページ数は200や400であったりします。人生は一つの物語で終わるものではありませんから、幾つもの小説が折り重なってできており、また未来が決定されている人生ではありませんし、見方によっては物語はどこまでも詳しくて具体的な描写の小説になりますから、人生という小説のページ数は有限ではありません。

人生という小説のページ数。
限りを超えた∞と言えます。

2.表現「人生の1ページ」

人生の転機と思えるタイミングのことを俯瞰した表現として、「人生の1ページ」と言われることがありませんか?

「今まさに君は人生の1ページを描いている」

などと言うかも知れません。とても素敵な表現として使われますが、なぜ素敵な表現に捉えられるかというと、今この瞬間はまだまだ未来に向けて開いており、過去からの脈絡と共に未決定であるから、選択一つひとつには意味や価値があるというニュアンスで受け取れることによって、視野が広くなったスッキリ感やわくわく感が宿るのではないでしょうか?

しかし、同じように逆のことが言えます。
そして、こちらの方が自然に起きている。

まさしく人生は∞のページとして如何様にでも小説を描くことが可能なんですが、だからこそもし、「人生の1ページのみ」が人生の全てになってしまっている人にとっては、どのような気持ちになりますか?

本来は∞のページです。
しかし実際は1ページ。

1ページしか、読むことができない小説とはどのような意味や価値があるでしょうか?その1ページのみ、反復し続けるのが人生になってしまっている場合。

3.制約。動けるのに動けない

人生は小説で例えるなら∞のページのハズです。そして本来はそのような人生であるのに、現実に生きる人間人生はそのうちのたった1ページしか見れないようになっています。

それが観点固定。

あなたが見る世界は限られた範囲に閉ざされていて、太陽系惑星の内の地球ですら、その全体像を見ることが出来ない状態ですね。

ですが、地球は関わっています。
あなたの人生に直接に。

人生を成り立たせている素材は極めてたくさんあって文字通り∞なのに、あなたが認知する範囲はそのうちの1ページ。

観点を固定しているから。
1ページだけに限定されます。

その他のページは見れません。

4.反復。より狭い領域へ

大前提が1ページです。
更に狭い範囲に絞り込みます。

1ページの中でも更に、後半部。
後半部の中でも更に、前半部。
その中でも更に2行。
極めつけは、単語「対話」。

人生のうちの極めて狭い領域に範囲を絞り、そこのことだけを見ている状態。あなたがもし、対話に一生懸命であっても、その一生懸命は∞のページからしたら、とても狭くてまた狭い領域の対話です。

文脈や文意と切り離された状態。

5.文字。誰かの物語

観点を固定している。
知らないと恐ろしいことです。

その範囲が全てだと思い込む。

小説であれば、文意や文脈があり文字を通して向こう側にある流れるイメージというものがあって、生き生きしているものですからまさしく人生そのものと言えます。自分らしく。

ところが、1ページのみに限った中で更に、単語一つに絞った人生は本当に人生と言えるでしょうか?単語一つに絞った文字は、既に人生の物語が喪失され、他の誰かの物語となってしまうでしょう。他の誰かの人生を成り立たせる素材として、その人の人生を生きる。

誰がそんな人生を送りたいというでしょうか?
恐らく誰も望まないでしょうね。あなたも。

誰がそんな人生を送っているというのでしょうか?
体人間であれば全員です。
目で見る人間であれば全員です。
ようするに、人間は誰もが皆んなです。

誰かの人生を一生懸命に生きる。
一生懸命に一体どれくらい意味がありますか?

6.誰か一人ではない

誰か特別な人に起きているという話ではありません。これは、あなたにも起きていることですが、あなたの父親も母親も、先生も上司や部下も、子どもも赤ちゃんも、100年前に生きた人も、1000年前に生きた人も、700万年前に登場した人類も、誰もが皆んなに起きていることです。

観点の固定。

1ページだけ与えられて。

根本原因を知らないまま、このまま生きていても良いと思いますか?何か重大な発見が必要ではないですか?

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理想から出発するnTech

こんな時代だからこそ理想から出発することが大事だと思いませんか?多くの方は総論に賛成し、しかし各論に入ると反対もしくは保留をするでしょう。

一体どうしてでしょうか?

理想から出発できればそれに越したことがないであろうことを多くの人は認めていますが、結果的に選択するのは現実から出発することです。

理想出発が良いのか。
現実出発が良いのか。

そんな論争にも終止符が打たれていないためか、理想出発が良いと分かりつつも多くの人は現実出発をするでしょう。

本当に。
一体どうしてなのでしょう。

もしあなたが理想出発が断然良いと思う方でしたら、本日の記事は参考になるかも知れません。理想出発について、少し掘り下げる記事になればと思い書き綴っています。

現実出発だと困る場合とは何でしょうか?
あなたは考えたことはありますか?

四季でいうところの今が冬とします。

あなたは、冬の季節に何かをするとき、それが現実出発であっても問題はないかも知れません。ですがもし、今が冬ではなく、しかも春でも夏でも秋でもないとしましょう。

氷河期です。
今が氷河期の入り口。

何万年という単位で氷河期。

あなたは、現実出発していて良いと思いますか?現実出発ということは、あなたは今を冬と認識していますから、次は春が来ると思って準備します。

ところが春は来ません。
今は氷河期ですから。

そうして、おかしいとあなたは思いながらも長い冬を持ち越すべく春の到来を待ちます。時々、暖かくなることがありますが、局所的に暖かくなるものの日に日に寒くなりやがて、夏になっても良い頃の季節のハズなのに、冬よりも過酷な冬であると気付き、ようやく疑問を抱きます。

そこからあなたは動き出します。
それが現実出発ということです。

現実出発をしていたら大変な目に遭う。
そんな一例を紹介しました。

一例ではありますが、このことから分かることの一つとして、理想出発が光るときというのがあります。それは現実出発では極めて困難な状況が想定されている場合、しかもそれが確実に到来するであろうことが事前に分かっている場合、理想出発が光ります。

人間の道へ進化してきた当時の動物人間たちであったのか、動物の道へ留まっていった当時の動物人間たちであったのか、その違いを分けたものと言ってもイメージしやすいかも知れません。

一見すると豊かな森を脱出して砂漠へ行くのは過酷な道であり、困難を極めるでしょう。しかし人間へと進化して種が保存されたのは、豊かな森を脱出した方でした。今では全ての動植物とは次元の違う領域へと進化しています。

nTechは完全理想出発です。
理想に始まり理想の過程で理想の結果。
結果的に結果が創られ、理想が現実化します。

現実を理想にするのではなく、理想だけで現実化していく道こそが、今の時代、特に日本には必要なのではないでしょうか?

nTechは貢献します。

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今ここどう生きる?

人間であれば誰もが皆んな知りたいものです。知らなければ生存において危ないこともそうですし、生産においても劣りますし、精神活動や文明活動においても満足しません。

知ることは大事です。

とは言え、人間は知ったからこそ知っていることに束縛されてしまいます。知らなければ悩むことも苦しむことも争うこともなかったのに、知ってしまったことで生きることが難しくなります。

知らないと問題。
知っても問題。

そんな中で、一体なにを知るべきでしょうか?

令和哲学カフェでは哲学者として認めるカントに触れることがよくありますが、哲学者カントは哲学的な問いを投げています。

人間は一体、何を知るべきか、何をやるべきか、何を希望するべきか、と。多くの人が実は抱えている悩みに繋がり得る質問ですよね。

今ここどう生きるのが良いのでしょうか?

人間だったら誰もが皆んな悩み苦しくことだと思いますが、大半の場合は今ここに勝負するというよりも、過去に後悔し未来に不安するタイプの悩みで現在とは切り離されていることが多いですね。

その現在さえも今ここと断絶されています。
令和哲学では今ここを強調します。

今ここの連続が人生。
今ここをどう生きるかが人生そのもの。

令和哲学でいう今ここ。

それは時間も空間も存在もエネルギーもないところ。時間や空間や存在やエネルギーがあって、過去/現在/未来がある今ここではなく。

今ここをどう捉えるかによって。
今ここどう生きるかも変わりそうです。

今の時代にカントだったら。
どう生きたでしょうか?

あなたは、どう生きますか?

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完全学問の必要性を垣間見る

よくよく考えると不思議な現象は沢山あります。ところが大半の質問が親や先生によってかき消されるためか、不思議な現象を理解の対象としないまま、暗記して済ませて後は放っておくということがよくあります。

本日のテーマは、「完全学問の必要性を垣間見る」です。

1.よくよく考える?教育 学問の今

子どもの質問は実にシャープです。
大人はよく足を止められます。

ところが足を止めることが良くないと無意識で要求する物質文明社会があるからか、大人たちは子どものシャープな質問事態を封殺しにかかります。

目撃したことはありませんか?
自身が被ったことはありませんか?
当事者ではありませんでしたか?

天才で生まれた赤ちゃん そして子どもたちはやがて凡庸になっていきます。何の影響を受けているかと言いますと紛れもなくこれは物質文明社会の影響であり、教育の在り方、学問の在り方が顕れていますね。

更なる天才へさせたなら今頃は世界平和です。
そうならず教育や学問が天才を凡庸にさせる。

哀しいことですが、これを現実のものとして受け取る必要があるかと思います。それでこそ、次なる段階が見えてきて突破口を得るでしょう。

2.出会い革命

あなたも漏れなく体人間として誕生してきたからには、父親が必ずいて母親が必ずいるでしょう。生まれた瞬間から誰とのかかわりもなく分離断絶の内に生まれた訳ではありませんね。

その誕生がどのくらい神秘なのか?
大shockと共に感動を伴うものか?

あなた自身がそのように思っていないのは、あなただけの問題ではなくて、教育がそうなっているし、学問の水準がその程度だからです。

精子と卵子があります。
精子が卵子の中に入ります。
受精した後、赤ちゃんになります。

そのことは多くの人が知っているかと思いますが、これがどのくらい神秘でスゴすぎる世界が働いているのかを知らないですよね?

そもそも精子が卵子と出会ったら何でまた赤ちゃんが生まれるのかが不思議で仕方のない現象ですが、いつの間にか凡庸として育った人間存在はやがて、真実を探求することをやめてしまい質問を控えるようになっていますから、神秘神聖の世界に出会う機会を逃しています。

3.令和哲学カフェにてNoh Jesu氏が

ナビゲーター役の長岡美妃さんのプレゼンと補足するNoh Jesu氏のやり取りにとても感動します。2人のやり取りからハッキリと分かりました。

令和哲学カフェでのことです。

生物学が薄っぺらい。
生命の神秘を教えれない。
如何に分かっていないのか。

それが明らかになりました。

それこそ、精子と卵子が受精するところから赤ちゃんが誕生するまでの精密な過程でした。生物学や医学に詳しい長岡先生が認めたのは令和哲学者Noh Jesu氏の話を理解し納得するからでしょう。

島崎もそうです。

西洋の学問では理解できない誕生の秘密をアレだけ細かく繊細に語るのか、そして生物学では語れなかったのか。

まさしくその話自体は、nTechを理解する5大概念の観点からして不可解な現象と理解納得する現象が一本につながる説明であったことに感動そのものでした。

間を悟り知った威力です。

4.不完全学問と完全学問

今までの教育を担ってきた学問の特徴がよく分かります。なるほど、確かに不完全学問ですね。

身近な現象も分からない。

分かったと言っている水準に神秘神聖がなく尊厳に繋がりません。それが続くとどうなりますか?本来の人間はスゴすぎてまだまだスゴすぎる絶対尊厳そのものであるのに、神秘神聖が失われ尊厳に繋がらないなどと。

どんな人間として育つのでしょう?
鬱や自殺や殺人に繋がるのは当然。
子どもが元気で大人が無気力も当然。

行けば行くほど、文明社会に活力がなくなっていくのも当然ですし、哲学なき○○と思われても仕方がないですね。

生き方につながらない教育。
自分につながらない学問。
心を置き去りにした学びと教え。

そんな状態なのに人を教えようとして凡庸な人間を育てるのは不完全学問だし、詐欺と同じだと思います。

また、神秘神聖を添えて理解できて説明できて統制できるように案内してくれるnTech令和哲学は完全学問の気配を感じます。

あなたも是非、精子と卵子の出会いのヒミツに出会われて下さい。生物学者たちが誰も語れないこと、そして知りたがっていることをNoh Jesu氏から聞けます。

間違いなく感動します。

5.ご確認を。完全学問の真価

令和哲学者の語る世界観に触れるとスッキリわくわくする人が増えてきます。不完全学問だけを絶対に正しいとする見方から出会おうとするなら勿論、受精には至らない不健康な卵子のように元気いっぱいの精子を受け取ることには苦労するかも知れません。

観点固定の問題は確かに働きます。

ですが、不完全学問を補いながら完全学問が発揮される準備をもう25年も十分に済ませている令和哲学者です。そして、令和の幟が立った令和日本もある。

何より観点の問題を解消しえる認識技術。

完全学問は、それを受取ろうとする意志ある人であれば誰でも理解納得できるものです。何せ不完全ではない。誰もが皆んなスッキリわくわくします。

完全学問の真価。
ぜひご確認下さい。

6.子どもの頃の疑問

小さい頃は色んなことに興味を抱き、何でも関心をもって近づいていきますね。質問も良質でシャープで、誰もが皆んな天才で生まれてきています。

ところが、教育と共に凡庸になる。
世界経済や様々な事件を見れば。

如何に教育がもったいないことをしているのか、薄々感じている人は多いと思います。そこにハッキリ言います。

学問が不完全だったから。
今からは違います。

その先へ行きましょう。

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始まった!令和哲学カフェ3期

令和哲学カフェ3期が昨日5/24(月)始まりました。
令和哲学者Noh Jesu氏が帰ってきます。

書き出しからイキナリ感ありますが。
99.99…%と100%の違いは分かりますか?

これまたシブい質問です。
あなたならどう応えますか?

一見すると、確率統計のジャンルで数学の知識であるようにも思えますし、降水確率のように日常生活で扱うジャンルにも思えます。

もちろん、そのような側面もあります。
ただ、さすが令和哲学者は他にも。

人類には宿命的な課題があります。
まだ解決されていない未解決問題。

それゆえに哲学的にも難解とされる問題が幾つも存在しています。そのうちの一つに自由意思論か決定論かという論争があり、現在まだ結論には至っていません。

決定論だ、と言ってしまえば理解できることが沢山あります。ありとあらゆることが計算可能で予測可能ですから便利です。

ところが困ることもあります。

犯罪をおかした人に対して、犯罪の原因が本人にある訳ではなく既に決定されていたのだから本人には責任を課すことができず罪を償う強制力を持たせることが出来なくなってしまい、犯罪を助長させてしまう可能性があります。

また自由意思だ、と言ってしまえば嬉しいことが沢山あります。人間らしく生きるでしょうし、選択する楽しみがあります。

ところが困ることもあります。

世の秩序はどうなるのでしょうか?宇宙自然の因果法則までをも覆しえるものなのでしょうか?それって逆に不安定極まりなくて安心できない宇宙自然であり文明社会となってしまいますが如何なものでしょうか。

それで、自由意思論なのか、決定論なのか、について、どっちか片方だと言ってしまえば問題となり、どちらでもないと言っても問題となってしまうという非常に難解な局面に立っています。

そんな問題にも繋がるのが冒頭。
99.99…%と100%の違いが分かるか?

令和哲学者Noh Jesu氏は昨日。
“西洋発の学問は詐欺だ”
と言いながら、その理由を話しました。

聞けば理解納得できるものです。

そして、こんなにも学問から始まる情報知識が溢れているのに、一体どうして鬱や自殺や殺人がなくならず、誰もが皆んな幸せで成功する社会は実現しないのかについて、頷き得る話でした。

不完全学問だったからというのです。

令和哲学カフェ3期は始まったばかり。
今晩もまた楽しみです。

平日21:00-22:30
zoom配信とYouTubeLIVE配信。
一緒に参加しましょう。

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不変と変化はどちらが源泉?

不変と変化はどちらが源泉でしょうか?

万物の根源を物質的な存在で見るときは一見すると不変の方が大問題に思えるかも知れません。状況は刻一刻と変化しているのに頑として変わってくれない不変というのは、行き過ぎると頑固に映りますから不変とは融通が利かないもので、人間存在にとって困るかと思います。

変化に富む方が嬉しい、と。
万物の根源が物質的存在であればまさしく。

しかし、万物の根源が物質的存在ではなく動きであったとしたらどうでしょうか?

詳しくは別の記事に書き綴ります。

不変の方こそ源泉です。

不変は永遠不変。そちらが源泉であり、変化は不変が働くから生じるようになった結果体です。

さて、人間は変化の最中にいる存在です。

だからこそ、不動心は難しいですね。
新しい習慣を築くことも難しいですね。
変化の最中にあるからです。

人類歴史上、難解な問題そして宿命的課題があって未だに未解決ですが、それゆえに生じた様々な問題や課題がたくさん生まれていますね。

そのうちの一つが永遠不変と変化。
その関係性を理解し説明することに失敗。

だからこそ、それを可能としたら一体どのくらいの価値だと思いますか?それをなし得たのが令和哲学者Noh Jesu氏です。

彼がまたやってきます。
令和哲学カフェ第3期に。
今晩からです。

zoom配信とYouTubeLIVE配信。

おススメします。
ご注目を。

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ego分離意識は分ける

ego分離意識は、何と出会っても分けます。それも、全部が全部を違うものとして分けるようします。

BはAとは違う。
CはBともAとも違う。
DはCともBともAとも違う。
Eは・・・

そのようにして、AもBもCもDもEも、それらのそれぞれは他のどれとも違うものとして分離するという特徴があります。体人間であれば誰もが皆んなego分離意識を持ちます。そして、人類700万年もの間ずっと、これを繰り返し続けています。

人間社会はどうなりそうですか?

果ては、平和になりますか?
果ては、争いになりますか?

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令和哲学カフェ2期ディプロマ授与式

人から評価されることは大変嬉しいことです。認めてくれると何ともいえない幸せで満たされた気持ちになりますね。一方で、認めてくれない状況に遭遇するときは不満が残ります。これがずっと続くと、評価されることそのものに嫌気がさして、やがてはそのような舞台から降りる決断をしてしまう。

継続は力なり。
しかし継続が難しい。

本日のテーマは、「令和哲学カフェ2期ディプロマ授与式」です。

1.認識方式。代表的な解析

新しい習慣を始めたくても長続きしないという経験はありませんか?継続は力なりと分かってはいても、なかなか持続することは難しく途中で止めてしまうことは日常茶飯事ではないでしょうか?

そのうち、チャレンジも止めてしまう。

だけど、それでもやっぱり新しく何かを始めようとして、努力してきたあなたがあるでしょう。そんなあなたは人からの評価を受けるときに次の3種類の認識方式で捉えています。

1.1.マイナス解析

出来事が起こります。遭遇すると必ずマイナスの意味付けと価値付けをするように出来ています。

これが続くと究極は鬱や自殺などに行きつきます。

1.2.プラス解析

出来事が起こります。遭遇すると必ずプラスの意味付けと価値付けをするように出来ています。一見は良さそうですね。しかしある観点からはマイナス解析よりも酷くて質が悪いです。

究極は問題解決に無関心となり問題を放置します。
その割に本人は条件付きで狭く楽しんでいます。

1.3.責任転嫁の解析

どんな出来事が起きても必ず自分以外の何かに責任を置くように出来ています。自分自身には意味付けと価値付けが蓄積されないようになります。

虚無に行き着きます。

1.4.同じことの繰り返し

人によって偏りがあるにしても必ず上記3つを誰もが皆んなやるようになります。人から評価された出来事と遭遇するときの解析パターンはこの3種類。

本人は、とても一生懸命です。
精一杯、人生を生きています。

ただ、徐々に本人らしい認識方式が確立してきて、やがては同じところをグルグル回るようになります。その頃から、自分自身で予測が立つようになります。

2.同じところから抜け出る

一例を紹介します。

先生から好評価されたとします。好評なのでとても嬉しいし満たされた気持ちになりますが毎度毎回、先生もあなたに高評価を下すとは限りません。

時には、悪評価をする場合もあります。
その時、悲しくなったり不満が残りますよね。

多くの人はまた好評価をもらおうと努力しますが、いつかはまた悪評価をもらいます。やがて、好評をもらい続けるよりも悪評をもらい続けることの方が相対的に多くなります。

何故でしょうか?

評価は相対的ですから、小さい頃は母親から好評価を得やすいですが、大きくなるにつれて母数が多くなっていきます。母数が多いということは相対的な評価は下がることになりますから、好評よりは(相対的に)悪評をもらうことが増えてきます。

疑似的な、或いは直接的に競争社会。
大勢の人と競争して勝ってこそ好評。

そんな中で相対的に悪評を得続けることがやがては嫌気がさしてきます。評価を受ける前から既に、結果が見えていることが事前に分かってしまうからでしょう。

母親と先生からの評価を取り上げました。
それ以外の多くの人からも評価されます。

人からの評価を出来事としましょう。
その出来事に、3つの解析パターンで応じます。

出来事は繰り返されます。
同時に、自身の解析パターンを繰り返す。

やがては定まります。

3.犬がしっぽを振る理由

少し横道にそれるように思うかも知れません。

犬がしっぽを振る理由をご存じですか?
しっぽは犬を振らないから。

実際そうですよね?

しっぽが犬を振る姿。
想像できますか?

そんなことは有り得ないと思うでしょう?それでしたら、自分自身もそんなことはしないだろうと思うじゃないですか?

ところが、です。
驚くことを言います。
キョトンとするかも知れません。

体人間で生きることは、実はしっぽが犬を振ろうとするのと同じくらいギャグなことをやっています。

人から評価を受ける出来事と出会ううちに解析パターンはやがて体人間の思い込みパターンへと変異し、やがては思い込み空間の中で予測をして決定します。

悪評価が来るだろう。
心地悪くなるだろう。

そう予測すると、経験したくないものです。その現象と出会うと想定できているなら、もはや出会いたくはありません。それくらいなら、評価を受けないようにするという選択をするかも知れません。チャレンジもしなくなります。

競争のレールから降りる。
評価基準から外れる。
取り組もうとしない。

結果的にチャレンジを諦めます。
その先に習慣化は起こりません。

この話ですが。

犬がしっぽを振る理由と繋がりますか?
nTech基礎理解28項目に当たります。

「ゲーム。全てに答える人は身近にいるか?」
http://shima-zakky.blog/ntech/qa01/

4.人間が犬の走りに負ける理由

あなたは犬と競争するとき、勝つ自信がありますか?きっと、ないでしょう?何度も何度も経験すると、やがては競争すらしない選択をするかと思います。

では、人間が犬の走りに負ける理由。
考えたことはありますか?

一体それは何でしょうか?

人間は走った後先のことを考えてしまいます。予測します。それで、走ることそのものに全力を投じることをしません。自ら止めてしまう。

犬は走ることそのものが楽しいので、走って、まだ走って、楽しくて走って、走り続けます。この後がどうなるか予測しない。この犬の走りゆえに、犬はまだまだ走ります。

あなたが習慣化したいことがあるなら、犬の走りをすることですが体人間の走りになってしまっていると習慣化は起こりません。例え習慣化しようとしても、悪い思い込みパターンを蓄積して疲れが蓄積していきます。

思い当たることはありませんか?

5.事件は起こすもの。出来事は重要ではない

継続は難しい。

それは体人間の解析パターンが働き、思い込みパターンが定まってしまったならば全くその通りです。

犬の走りに負ける。
継続は難しいでしょう。

ですが全く別の解析パターンが令和哲学では学べます。しっぽが犬を振る滑稽さではなく犬がしっぽを振る正当な理由が働き、犬の走りを経験します。

想像してみて下さい。

あなたは犬。
走るのが楽しい。
楽しくてたまらない。
ただ走る。
それだけです。

そんなあなたが習慣化しない訳がありません。結果として結果的に結果はついてきます。

令和哲学による新解析パターン。

継続は力なりというのは、結果のことを指し示す表現ではなく、出発であり、過程のことを指し示す表現。新解析を行うあなたはまさしく人の評価や出来事に左右されず、楽しくて仕方ない心が走り続けて事件を起こします。

事件を起こす中心があなた。

一つひとつ評価された出来事に翻弄されることなく、事件を起こす中心地あなたから発揮される影響力は習慣そのもの。結果的に評価を受けるときが必ずきます。そのときは、あなただけに向けられた評価ではなく、あなたが与えた影響力全てに向けられた評価で、永続的に膨らみながら2度と消えない超評価となっていることでしょう。

6.共に毎日参加しましょう。令和哲学カフェ

あなたが何か習慣化したいことがあれば、島崎と一緒に取り組みましょう。力になります。

憚りながらこの島崎。
令和哲学カフェ1期2期ともに。
皆勤賞を頂いております。

大変に名誉なことであり、この評価はとても嬉しくて光栄なことです。ただただ令和哲学カフェ好きであったことがここまで有り難くて価値の高いものへと化けていることに人ごとみたく激しく感動しています。

習慣化が苦手なあなた。
だけど犬の走りをしたい。

島崎に連絡ください。

まずは一緒に令和哲学カフェに参加しましょう。しっぽが犬をふるギャグを払しょくし、犬の走りで楽しむ私たちであるとき、あなたと島崎は掛けがえのない関係を築けているでしょう。

そのことも楽しみにしています。
気軽に連絡ください。

読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。