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令和哲学カフェ

本当にどうして?哲学は影響力が小さいの?

文明を発展させている牽引役として直ぐに思い当たるのは科学(技術)であるかと思います。科学技術は最先端技術ほど日進月歩と言われており科学の進歩はかつてない程に早い。

この科学と比べると哲学は。
ふと疑問が沸き起こります。

科学の進化発展は著しく、文明に与える影響も大きいですから、私たち1人ひとりのライフスタイルにも大きな変化をもたらします。職業や産業も科学がもたらしてくれます。日常生活を取り囲む尽くは科学の恩恵を被っているものばかりです。

それに対して。

一体どうして哲学は、科学ほども進化発展が見られず、文明を築いているとも思えず、ライフスタイルにも影響はなく、更には職業産業になっていないのでしょうか?

哲学で食べている人を見ません。
哲学でお金持ちを知りません。

この違いとは一体何でしょうか?

今は本当に哲学が必要な時代。
哲学なき生き方は通用しません。
哲学なくして生きていけません。

AI(人工知能)の飛躍的進化もありシンギュラリティ(技術的特異点)を迎え科学技術の終焉、物質文明の終焉のこの時に、哲学の出番が今まさに来ています。

それなのに文明を築く力のない哲学、職業産業を生み出さない哲学では、来てる出番に対して何も発揮するものがないではありませんか?

令和日本から哲学ブームが始まる。
英雄集団日本を築く上でも。

哲学そのものを整理する時にあります。
この質問にあなたならどう答えますか?

科学技術と比較して一体どうして、哲学はここまで影響力が小さいのでしょうか?その理由とは何でしょうか?

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令和哲学カフェ

技術的特異点が科学に与えるもの

2045年には技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えると言います。人間が発見したり発明するよりも早くAI(人工知能)がその仕事を済ませており、しかも自分より優れたAIをコピーするために、その時より以降は人間が技術面において発見と発明をすることがなくなるというものです。

技術的特異点を迎えること。

科学にどんな影響があるでしょうか?
人間にどんな影響があるでしょうか?
また哲学に与える影響は何でしょうか?

技術的特異点より先は、実は人間による科学技術の進展はないということを意味します。つまり人間の手による科学技術は終焉を迎えます。

人類文明を大きく牽引してきたのは、ある時からは科学技術でした。科学技術はモノを変化・運動・移動させる技術で物質文明を育てます。

その科学技術が終焉を迎えます。
人類による物質文明の終焉です。

ではその先は?

もう人類文明の発展を科学に任せることは出来そうもありません。認識対象を開発する科学の領域はAIに任せれば、より早く、より便利に、より緻密に手掛けてくれます。

そこで残るのは認識主体。

認識主体を啓発する領域は未だ、人類が手掛けられる領域。それこそ、哲学です。

2045年になってから準備するのでは遅いです。シンギュラリティが予想されている今もう既に、物質文明は鈍化していますから文明創造は今から始めておきたい。

ここに哲学の役割があります。

哲学が新産業を創る。
哲学が新文明を創る。

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令和哲学カフェ

哲学とは何か?科学と対比して

哲学のイメージと言えば。
大抵、次のようなものです。

  • 難しい
  • 使えない
  • お金にならない
  • 争う
  • 怒ってる
  • 怖い
  • やる人だけがやる
  • 昔の人
  • 他の学問にも関係しそう
  • 深い
  • 抽象的

他にも色々あるでしょうが言葉や表現法が変われども指し示しているイメージなどは似ているのではないでしょうか?

本日は、哲学とは何かについて令和哲学カフェから学んだことを基にして科学と対比しながら書き綴ります。

私がボールペンを一つ手に取ってボールペンを見ているとします。この様子を端的に表現すると

「私がボールペンを見てる」

となります。この時、認識主体と認識対象という表現でこの状況を言い表すならば一見、認識主体は私で、認識対象がボールペンとなりますよね?

認識主体=私
認識対象=ボールペン

ここまでは難しくも何でもなく、日ごろ体験する話かと思います。では、更に科学を取り入れて表現するとどのように言い表しましょうか。

科学が開発する領域は認識対象です。「科学とは認識対象を開発するもの」と言えます。

確かに、初期のボールペンと言えば単色黒色ボールペンですが、単色赤色ボールペンであったり、3色ボールペンが商品として販売されますと、単にボールペンと言った時にも特定されない場合がありますよね。ボールペンが開発されています。

また、ボールペンへと変異するまでも同様です。素材のプラスチックや素材のインクを集めただけではボールペンにはなりません。風がプラスチックを運んできてもボールペンにはなりません。また、プラスチック自体も放っておいたらプラスチックになる訳でもないですね。

認識対象となるあらゆる領域を開発して最終的にボールペンとして誕生しています。

科学=認識対象を開発する

では哲学はどのように言い表しましょうか。

哲学が扱う領域は認識主体です。認識主体を啓発するのが哲学ですね。「哲学とは認識主体を啓発するもの」と言えます。

哲学=認識主体を啓発する

この話は、どのように続いていくと予想されますか?冒頭に挙げた哲学のイメージとはどのような関係があり、話が進んでいくと思えるでしょうか?

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令和哲学カフェ

哲学をブームにする時代

今の時代、特にこの日本では。
最も哲学を必要とする時代です。

AI(人工知能)の登場、そして新型コロナウイルスの登場。これらによって、物質文明は終焉を予感させ世界の知性は慌てふためき文明の土台から揺さぶられている状態です。

物質文明の終焉。
科学技術の終焉。

この時にいち早く哲学をブームにさせていくことで新しい文明を築く準備となるのではないでしょうか?

今までにない新しい哲学。
令和哲学にその可能性があります。

全く新しい哲学と言えるには。
それまでの哲学を言うこと。

今までの哲学の共通点とは一体何でしょうか?それを分かることで今からの時代、この日本から哲学ブームを起こす可能性と出会います。

今から哲学ブームが興ります。
日本から始まります。

そんな新しい流れを前にして、今までの哲学の共通点であり限界であり弱点を整理整頓しておきましょう。

あなたはどう思いますか?
今までの哲学とは何でしょうか?

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点一つを分かれば全てが分かる

点一つを分かれば全てが分かります。点一つを分からなければ全てが分かりません。

現実世界のあらゆる物体は立体の形状ですが立体とは沢山の面によってできていますね。そして面はよく見ると沢山の線によってできてますね。その線は沢山の点によってできています。

実は現実世界は点だらけです。

宇宙空間は宇宙BigBangによって誕生したと言われていますが、特異点から誕生しています。特異点が分かることで宇宙全ての現象は説明できると思われています。

宇宙空間は特異点に全てが入っています。

点一つを分かることで全てが分かります。逆に点一つを分からないから全てを分かりません。

何か一つだけ分かったということはありませんね。全ては点であり、点の集まりだからです。何か一つを分かるときにも実は点を分かっていることになり全てを分かっていることになります。

点とは只者ではありません。
スゴすぎるのが点です。

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人間は社会と共に生きる

人間は、1人では生きていけません。ボールペン一つを作ることも1人では不可能ですし、ご飯を食べようとするにしても1人では不可能です。必ず誰かの力を借りないと、あらゆる道具は目の前に現れませんし使うことができません。

1人で生きている、と
そう思う人がいるかも

でも1人ではありませんね。

1人であれば生まれてきた時も、育ってくる過程も、1人で生きてきたことになりますが今の私たちにはそのようなライフスタイルは不可能です。

必ず協力が必要です。
現代はそれが社会です。

両親や家族はもちろんですが、大きな枠組みで捉えると社会や文明は、自分を育んでくれる両親や家族のようなものと言えませんか?

私たちは社会に育まれていますし、社会を構成している構成員メンバーでもあります。より良い人生にしたいと思うのであれば、実はより良い社会を築くのが遠いようで近道です。

そうは思い難いかも知れません。

ですが、直球ならばそうです。
近道は社会をよくする道です。

人間は1人では生きていけません。社会と共に生きていくのが人間です。

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令和哲学カフェ

今の時代。「役に立ちたい」とは?

1.今の時代とは?

今の時代。
特に令和日本のおいて。

役に立ちたいという想いがありますね。とても聞こえが良いのですが今の時代に照らし合わせながら特に、令和日本において見たときに、聞こえの良い役に立ちたいということは一体どんな意味があるのか、に触れたいと思います。

今の時代とは何でしょうか?

社会を推移させ前進させる技術革命が度々起きている中で今は、AI(人工知能)革命によるAI時代、AI社会に突入しています。農業革命、産業革命、IT革命、スマート革命の下で起きています。

AIが登場しています。

そして令和二年には新型コロナウイルスが登場して全世界を根底から揺さぶっています。文明の底辺から揺るがし世界の知識人は右往左往し、リーダーシップは責任から逃れようとしています。

新型コロナの登場です。

このような時代では量子力学的な世界観が極めて強く、状況によってコロコロと変わっているかのような不透明、不鮮明な時代です。

部分を見るときに特に。
顕著に現れます。

2.全体の動き

部分の動きに関心がある場合は、動きが早すぎてよく分かりません。ところが全体の動きに関心がある場合は、早すぎる動きがどんなに早くとも、全体像として捉え続ける知恵を手にしているので部分を見てるときのように振り切られません。

全体と部分の関係をよく見ます。

さて、役に立ちたいという想いは今までの話の流れの何に対応するでしょうか?

それは、全体ではなく部分という点。
部分的に役に立ちたいということ。

全体を分からないままで、一部分ならよく分かるし、一部分なら発揮できるし、一部分なら着いていけるし、などの発想があるのでしょう。

そして実際、人間は部分を取ります。
全体を取るようには出来ていません。

一部分で良いから、そのポジションで役に立つとか、誰かに認定されたいから役に立ちたちだとか、まるで在るだけでは罪深き存在であるかのように。

誰かの役に立つ。
何かの役に立つ。
これで役に立つ。

全体を見る立ち位置からすると、一部分に収まって役に立ったとしても、全体像からして意味があるかどうかは不明ですし、場合によっては、別の役割の足を引っ張るなどして摩擦衝突が起きてしまいます。

役に立つことが
足を引っ張る

何ともジレンマではありませんか?

令和哲学。全体の動きを理解する良き道具

役に立つということ。
今一度考えてみて下さい。

全体を見ることなしに役に立つなどと、本当の意味で在り得るでしょうか?全体と連携連動が起きていないのに役に立つとは滑稽な話。

今の時代。
特に令和日本。

全体の動きに関心を寄せるときです。
令和哲学は良き道具となるでしょう。

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役に立ちたい。それは本当に・・・

あなたもよく耳にすることではないですか?あなた自身も言ってきたことかも知れないですね。言わなくても思っていることではないでしょうか?

役に立ちたい

そう思っている人は多いのだと思います。とても聞こえの良い言葉ですし、聞くにしても言うにしても人の好さのようなものを感じます。

ところが今の時代。
特に日本において。
哲学が必要な時に。

役に立ちたいというのは本当に・・・

今は量子力学的な時代でもあります。少し前まで正しかったことも間違ってしまう時でもありますし、今が正しくても少し経てばもう正しくなくなったりする不透明な時代です。

見たと思ったことは本当に見たまんまの有り様として、そこにあるのでしょうか?

全てが揺らいでいる時代です。

役に立っていると思えることも本当に役に立っているのかどうか自体を見直しても良い時にあります。

役に立っていることは全体から見たら本当にごくごく一部分の些細なことかも知れず、しかもちょっとしたことで泡のように消えてしまうものかも知れません。

役に立っていること
本当に意味があるのか

AI(人工知能)が登場しコロナが登場している今ですから、役に立つということ自体も今の時代なりの意味合いがあって良いのではないでしょうか?

つまり、意味のあること。
本当に、意味があること。

それを探すことは大切だと思うのです。意味はどうやって生まれてくるのか?本当に意味あることとはどういうものなのか?

役に立つという話だけではなく。
意味があるということを添えて。

令和哲学カフェのテーマでも上がっていたことで、本ブログでも取り上げたくなりました。

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存在感。人間社会

当たり前のことのようではありますが、しかし普段から気にしているかというと、実はそこまで気にしていないというか、当たり前らしさが当たり前すぎて一見、無関心であるかのようにまで捉えられてしまうようなそんな現象についての話です。

私たちは何気に道具を使います。
お箸、コップ、ボールペンなど。

気軽に使える道具ですが、この道具一つ作る上でも1人で作るとなると大変なことではないですか?コップ一つを1人で作ろうとして挫折する人の方が多いのではないでしょうか?

実際問題、1人では無理です。
今の時代では特にです。

どんな個人1人であっても1人ではコップを作れません。不思議なことですが、そんな個人1人が集まることを通して何故か、コップを作れるようになっています。

1人では無理なのに。
集まるとできる。

1人ひとりに能力はない。
集まると能力をもつ。

この現象こそ、ホモ・サピエンスという人類種の特徴が色濃く表れていると見て取れるのではないでしょうか?

社会の形成です。
抽象的なものを共有する能力です。

個人と社会は切っても切り離せません。人間は1人では生きていけません。だからこそ1人ひとりはどのような社会を創っていきたいのか、もっと考えて良いと思うのです。

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その他

地球と人類の健全健康な姿とは?

母親から生まれた赤ちゃんは母親のお腹の中から外に出ますが、これがもし、母親のお腹の外に出ずにいつまでもお腹の中にいるとしたらどのようになるでしょうか?

想像に難くないですね。

赤ちゃんは勿論ですが母親の命が危ないです。健全健康な姿とは言えません。赤ちゃんは、母親のお腹の外に出てこそ健全健康な母子関係の姿です。

母なる地球から生まれてきた人間。

地球と人間の関係は母子関係で見立てることができそうですが、健全健康な母子関係からするとどのように言えそうでしょうか?

お腹の中に居続けてはなりません。
子どもはお腹の外に出て自立します。

人類はやがて、地球を飛び立ち地球環境以外に住むように巣立っていくときが来ます。ロケットを飛ばして月に到達したり土星を探索していますが潜在的には、自立する人類の姿です。

現時点では、ロケット一本飛ばすのに大変な思いをしている人間ですが、やがては飛行機が行き来するのと変わらない勢いで、地球内外へと行き来するのが健全健康な母子関係の姿。

今、そこに向かっています。