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令和哲学カフェ

動画コンテスト~尊厳破壊阻止 尊厳創建運動~

環境破壊だったら、砂漠化であったり汚染された川などを目で見て確認することができる分だけ、危機意識が芽生えやすく取り組みやすいのでしょう。ですが、目に見えない尊厳であれば、分かりにくく問題意識としてもちにくいのではないでしょうか?

本日は、尊厳破壊抵抗運動の観点から動画コンテストについての記事です。

1.令和哲学カフェの企画

令和哲学カフェの企画として。
尊厳破壊阻止運動があります。

1.1.変化。目に見えること

目の前にボールペンがあるとします。目に見えるでしょう?だからこそ、そのボールペンをPCの右側からPCの左側へ移動させたり、黒色が出ているところから、赤色へと切り替えたりすることができます。

状態Aから状態Bへと変化。
私から始まってできることです。

1.2.変化。目に見えないこと

でももし、ボールペンが見えないものだとしたら私から始まるボールペンを変化させることができるでしょうか?

目に見えない存在。
その存在の状態が変化する。

尊厳は目に見えるものではありません。だからこそ、その尊厳の状態がどのように変化していくのかというのを観測することは不可能で、目に見える環境破壊であれば危機意識が芽生えるでしょうけれども、目に見えない尊厳破壊は目に見えない分だけ問題意識が芽生えにくく、とても危険な状態へ陥っているかも知れません。

1.3.尊厳破壊阻止。動画コンテスト

そうした目に見えにくい尊厳破壊を何とか可視化させながら、如何に尊厳が破壊されてきたのかを視覚化する上で映像の力を借りて取り組もうとする企画。

2.動画コンテスト

それが動画コンテストです。

2.1.動画コンテスト。企画の流れ

  1. 主旨に共感する人たちが動画を作成し、集まった動画たちで第1リーグから第3リーグまで組みます。
  2. 一定期間、第1リーグの動画視聴と共に投票する期間を設けます。
  3. 心に響いたもの、尊厳破壊阻止運動の主旨に適うもの、その他よいと思われる映像を選出し、投票を行う。
  4. リーグ優勝を決めたら、次のリーグで同様の取り組みをして第3リーグまでの優勝映像を決める
  5. 各リーグ優勝映像の3つをもって改めて最優秀賞の映像を投票にて決める
  6. 1位、2位、3位に応じた景品が授与される

といった取り組みです。

2.2.決勝戦。尊厳動画コンテスト

有り難いことに、私の作品が第1リーグの優秀作品として選出されました。10月25日まで、視聴と共に投票する期間が与えられています。

他の2作品も、非常に素晴らしい出来栄えでございました。感動します。このように表現すれば良いのか、などと学びにもなりました。

  • 尊厳破壊がどのようなものか
  • 尊厳破壊をどのように阻止できるのか
  • 尊厳破壊を阻止することで開ける未来とは

などなど、他にも多くのことがありますので、ぜひ、映像の魅力とともに伝わりくるものをお楽しみください。

どんな想いで制作したのか。
1分コメントと共に。

3.視聴、投票はこちらから

4.求む。感想

視聴された方。投票された方。ぜひ感想を聞かせてください。シェアしましょう。

あなたが感じたこと、気付いたことを聞かせて下さい。本ブログへのメッセージでも良いですし、Twitterでリプライ頂いてもかまいません。

令和哲学カフェでは、島崎はzoom参加していることも多いですから、ブレークアウトセッションなどで交流できることも楽しみにしています。

いつも読んで下さって有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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フッサール。現象学

聞いたことはあるものの元々は哲学に苦手意識が濃かったからか、遠回りにしていたフッサール、そして現象学。

昨日と今日、令和哲学カフェでの令和哲学者Noh Jesu氏の切り口に衝撃を憶えました。これまたよく聞いてはいたが遠回りにしていたデカルト。

我思う故に我在り

なんと。

これとフッサールがつながるといいます。一体どういうことでしょうか?

想像つく方はいますか?

今日も読んで下さって有り難うございました。宜しかったら別の記事もお読みください。

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ポストコロナon-line会議

ポストコロナon-line会議。ママナビ

令和2年10月20日。ポストコロナon-line会議といえば夜に開催されることが通例となっていましたが、この日は特別企画のような位置づけもあり、昼間の開催となりました。

妊活の重要性がテーマ。

胎内記憶第一人者の産婦人科医池川明先生。
ママナビゲーターのアインシュタイン知奈美氏。
令和哲学者のNoh Jesu氏。

この三者で、ポストコロナの新しい時代に生きる生き方について話がされた。中心テーマが妊活ということで、出産経験の観点から

女性と母親との違い
妊活時に重要視しておきたいこと

胎内記憶や出産立ち合いの観点から、

生死とは何か?
存在とは何か?

令和哲学の観点から、

母親が誕生する瞬間
アインシュタインの意志と現代必要とする愛の爆弾
博士が愛した数式の意味
天才児を生み出すのが当たり前のママとは?

などなど、多岐にわたり濃度の濃い話題が飛び交います。このような方々が集い、他では聞けない話題が飛び交う場の何と貴重で価値の高いものなんでしょうか?

しばらくはYouTubeで視聴できます。
ぜひ、ご覧になってください。

個人的には、大学の知人が出演しているのでささやかながら応援の気持ちがいつもに増しておりました。私自身が母親であるかのような心持ちで過ごせた貴重な時でした。

今日もみて下さって有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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真善美。哲学的な話題

真善美を聞いたことがありますでしょうか?真善美と並んだ言葉でなくても、真・善・美という一つひとつであれば、よく使う言葉かも知れません。

言葉としてよく使うものでも
概念として難しいということ

よくありますよね。

真善美を整理整頓する上でもカントを取り上げると非常に見えてくるものがあります。哲学の難解な概念はカントの理解を深めることで整理整頓しやすくなるというのが令和哲学の立ち位置です。

令和哲学者Noh Jesu先生は、理路整然としているカントの整理が大好きで唯一、カントは哲学者であると言ってよいほどカントを評価し認めています。

現代でも押さえておきたい概念。
その一つに真善美があります。

他日、令和哲学の観点から真善美について触れます。

今日も読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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カントと言えば。一つは純粋理性批判

哲学者たちの間でも難解だと言われているカント。令和哲学カフェでは、このカントの理解を深めることでその他、大勢の哲学者たちと哲学的概念の整理整頓に向かうとして重要視しています。

三大批判が有名なカント。
純粋理性批判があります。

当時の時代背景と重ねて純粋理性批判に触れるととても分かり易くなります。過去に幾つか触れた記事がありますので、宜しかったらそちらも目を通してみて下さい。

言葉として理性というのを知ってる人は多いと思いますが、カントが言うところの理性とは一体何でしょうか?そして純粋理性とは?

カントは当時、溢れている悩みや問題を解消することに大きな貢献をしましたが、三大批判をすることで解消しています。

その最も根底にあるもの。
純粋理性批判。

批判というからには批判です。
しかし悩みを解消するという。

人間的に魅力を感じます。

カント1人を理解すれば、カント以降の哲学者たちの理解と、カント以前の哲学者たちの理解も進みます。

それにはこの純粋理性批判。
これをどう読み解くか?

本日も読んで下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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直向きな姿。令和哲学カフェ101回目

令和哲学カフェ101回目

一つのことをやり続けるということは難しいですね。新しい習慣を習慣づけることも、旧い習慣を明確にストップさせることも、中々難しいことです。

そんな中で、令和哲学カフェは。
本日、2020年10月16日で101回目。

平日は毎日開催している令和哲学カフェは、毎日哲学のことについて理解を深める場。現実的にいって難しいことでもあり、本質的にいっても哲学というジャンルで毎日、公開的に理解を深める場を取り持ちながら様々な角度からの質問に答えるというのは尋常ではないです。

それも令和哲学者と名乗って。
並々ならぬ覚悟だと思いませんか?

あなたならばどうでしょうか?

明日から令和哲学者を名乗り、毎日西洋の哲学者たちを取り上げ、哲学的概念についての解説を行いながら、来る質問に応える。

しかも集団コミュニケーションを通して理解する哲学として見せてくれて、哲学を好きになる人を一人ひとり着実に増やしていく。

このようなことを出来るでしょうか?

令和哲学者として。

101回も続く令和哲学カフェが、11月には1期を終えて4年間続けようとする夢を、今日も明日もかなえようとする直向きな姿に感動しています。

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難解なカント。三大批判

哲学者であったとしてもカントは難解だといいます。カントを理解するには哲学の講義を半年間、継続的に学んだとしても理解できる人は少ないという実情、そして専門とする人ですら難しいと評する現状で。

令和哲学カフェはカントを推します。
難解なカントの主張に触れます。

カントと言えば・・・と問えば出てくる幾つかの項目があろうかと思いますが、その内の一つに挙がる有名なこと。

三大批判。

三大というからには3つがあるのだろう。三大というからには、普通の主義主張ではないのだろう。

そんなことを予想できるのではないでしょうか?

見ようによっては、3つだとも言えますし整理整頓されている人からしたら1つのことを目線を変えて3つとして表現しているとも言えます。

いずれにしても難解となっているのはどういうことでしょうか?

三大批判は次の3つです。

・純粋理性批判
・実践行動批判
・判断力批判

日本人にとっては批判とは穏やかならぬ表現ではありませんか?批判することで有名になったのでしょうか?批判することにどのような意味があるのでしょうか?批判は平和に導くのか、それとも争いへ誘うものでしょうか?

批判というと非難のや誹謗中傷のような悪い印象で見受ける方も多いと思いますが、カントはそのようなことをしたかったのでしょうか?何かと色々、気になることが出てくるかも知れません。

令和哲学の観点からはカントを哲学の分岐点とみており、御幣を恐れず大胆に言えば哲学が真に始まったところという勢いです。

その目線からカントは素晴らしい。
当時の悩みや苦しみを解消します。

それを巧妙な手段をとって。

批判と名付いていますが、美的センスを垣間見る批判ですので是非、そうしたセンスを磨きながらカントと出会われることをおススメします。

またカントは非常に難解。
三大批判も難しいこと極まる。

令和哲学カフェをご活用下さい。おススメします。カントのみならず西洋の主要な哲学者たちを総なめします。

昨日は感情手術を公開的にやりました。

フロイトが目をつぶって見る夢の解析なら、
令和哲学は目を開けて見る夢の解析をする。

人によっては涙が出てくるような場面もありました。令和哲学を通して西洋の哲学の理解は早まり、今の時代の哲学がどういうものが見えてきます。

zoom参加とYouTubeLiveによる同時配信。

島崎はzoomで参加することが多いです。ブレークアウトセッション機能で同じルームとなった方、いつも楽しみにしています。

ぜひお話しましょう。

今日も読んで下さってありがとうございました。宜しかったら別の記事もお読みください。

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悩み。真理を知ることはできるのか?

カントが生きた時代背景は科学万能主義の風潮がありました。カントが哲学を整理整頓する前までの哲学と言えば、2つの大きな主流があります。一つは、合理主義。一つは経験主義。お互いはともすれば対立構造になり易い関係です。

本日は、人間たちの悩みについて。

特に真理は知れるのか?カントの功績と共に書き綴りたいと思います。

結論から言えば、真理を知ることができる。そのように整理したのがカントです。とても希望溢れること。

一体どういうことでしょうか?
哲学は真理を追究するものです。

経験主義の主張は、体験したことに価値があり、真理を探すのは体験したことを蓄積することで叶うだろうというものです。

ところがどうでしょうか?

人間が生きるといっても100年ですから、この広大な宇宙そして138億年という時間の長さと比較して一体、どのくらい体験を得るというのでしょうか?

やがて悩みが出てきます。
本当に真理は知れるのか?

一方、合理主義の主張は、体験しなくとも先験的に真理を知ることはというものです。数学的な概念を用いて、同じことを繰り返し追求することで真理を得るというものです。

するとどうでしょうか?

シンプルではありますが常に同じことを確認していては多様性や広がりについては無力です。進化発展成長などが起こりません。

やがて悩みが出てきます。
それは真理と言えるのか?

経験主義も合理主義も対立しやすい傾向がありますが両者ともに、悩みがありました。

本当に真理を知れるのか?

カントはその悩みを解決しました。
どのように?

それまでの真理の基準は客観世界にありました。カントは真理の基準を主観世界にもってくることに成功します。

その結果、悩みは解消します。

真理を知ることができる。
真理の基準は主観世界にあるから。

真理の基準を主観世界にもってくるだなんて何と素晴らしい偉業をなしたのでしょう。

いつも読んで下さって有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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カントが解決した問題一つ

カントがいた時代背景。
科学がブームでした。

ある時から宗教による整理整頓よりも科学による整理整頓の方を重要視する傾向が強くなっていきます。絶え間なく訪れる疑問に答えてくれる量は科学の方が圧倒的に多かったからです。

その影響は宗教だけに留まりません。
哲学も大きな影響を受けます。

科学万能主義。
その傾向が強くなっていた頃。

2つの主流がありました。

一つは、経験を重要視する傾向。
一つは、合理性を重視する傾向。

これらが相反するかのようにして論争することも度々あります。平和を望む人間からすると胸を痛める場面なのかも知れません。

実はカントは、この論争にも終止符を打っています。整理整頓することに成功しました。これはトンデモナイ大成功であり偉業と言えます。

あなたの周りではどうでしょうか?
ちょっと振り返ってみて下さい。

経験を重要視する傾向はこのようなものです。つまり、実験に重きを置きます。日常では体験を大事にすると言えますね。

自分が体験したことは真理になります。
体験したのだからそれが真理だ、と。

一方、合理性を重視する傾向とはこうです。数学的。体験しなくとも自然に計算結果が出ますね。体験よりも前に経験することができるし答えに到達するというものです。日常では数学的な理論とか知識を扱う人ですね。

こちらの側からすると経験を重要視する人が馬鹿に見えるかも知れません。事前に答えが分かるのに一体どうして体験しないと分からないのか?体をもって体験できないことは沢山あるじゃないか、と。

では逆に経験を重要視する人から見たら合理性を重視する人はどう見えるかと言うと、やはり馬鹿に見えるかも知れません。発展性がないじゃないか、と。数学的に、理論として、同じことばかりを繰り返して面白くないし個性がないし、進化も発展も起きずそれが人生と言えるのか、と。

お互いがお互いを馬鹿にしてみる。
平和から遠く殺伐とする向きもあります。

カントからしたら、こうした殺伐とした雰囲気や緊迫したムードを何とかしたいと思ったのかも知れません。

平和的な解決が難しそうなテーマ。
カントは哲学で突破しています。

今日も読んで下さって有り難うございます。宜しかったら別の記事もお読みください。

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暗い話題が多い今の時代に

希望を語りたくなる時ですね、確かに。このような方向性喪失、リーダーシップ不在と思えるような世界の混沌ぶりと、日本国内のマスコミを中心とした暗い話題が多い今の時代ですと。ですが、本当に大切なことは希望を語ることなのでしょうか?

今日は、暗い話題が多い今の時代に触れる記事を書き綴ります。

希望そのものは大事です。
暗い話題の時にも、でしょう。

ですが、このような経験はありませんか?希望が薄れ、断たれ、やがては失望や絶望に至る。ともすれば、希望など持たぬ方が良かったのだと無気力に陥る。

希望そのものは大事です。
暗い話題の多い今にも。

ですが、御幣を恐れず大胆に表現しますが、絶望と切り離された希望などありはしませんし、絶望と直面して向き合った結果、絶望そのものと仲良くなるという過程を通過していない希望は、薄っぺらい希望であり、やがては破られるものとなるでしょう。

暗い話題が多い今の時代。
希望を見せる話があるでしょう。

ですが、絶望と切り離された希望ほど危ういものはなく、更に言えばそんな希望こそより深い絶望であり、そのような絶望が希望っぽいものへと形を変えて騙してくること自体が、恐ろしい絶望っぷりと言えるのではないでしょうか?

絶望の最中に合っても、そこと向き合えること。そこで笑えること。そこでも幸せでいれて人徳溢れていること。究極の絶望であっても、です。

そんな生き様こそ、真の希望ではないでしょうか?簡単に話にできる希望ではありませんが、絶望と共にある元気な姿として生きる希望なのだと思います。

お読み下さってありがとうございます。宜しかったら別の記事もお読みください。